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藤堂 高成(とうどう たかしげ、1867年3月17日(慶応3年2月12日[1])- 1930年(昭和5年)10月23日[1][2])は、明治から昭和初期の華族、政治家。男爵、旧名張領主名張藤堂家(藤堂宮内家)第12代。幼名は憲丸[1]。
山城国京都で竹内治則の二男として生まれた[1]。1876年(明治9年)2月、旧名張領主の名張藤堂家当主・藤堂高節の養子となり[3]、1893年(明治26年)家督を相続[3]。1914年(大正3年)9月28日、高成に改名した[3][4]。
國學院で学ぶ[3]。1894年(明治27年)神宮皇學館の舎監兼助教授に就任[2][3]。1906年(明治39年)9月17日、男爵を叙爵[1]。都市計画中央委員会委員、鉄道会議議員、百五銀行取締役、三重共同貯蓄銀行取締役、日本築造(株)監査役などを務めた[2][3]。
1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に就任し(名義:憲丸)[5]、1925年(大正14年)7月9日まで在任[2]。1927年(昭和2年)4月16日に補欠選挙で貴族院議員に再選され[6]、死去するまで在任した[2][7]。
昭和5年(1930年)10月23日没。享年64。墓所は名張市徳蓮院。
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