藤堂高崧
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藤堂 高崧(とうどう たかとし/たかすけ)は、江戸時代中期から後期にかけての伊勢国津藩の世嗣。通称は大学。官位は従四位下・大学頭、主殿頭。
略歴
津藩支藩の久居藩主で後に津藩9代藩主となる藤堂高嶷の長男として誕生した。幼名は五瀬千世。正室は溝口直養の七女・敏姫。一男一女あり。
天明7年(1787年)3月23日、父の宗家相続に伴い津藩の嫡子となった。寛政元年(1789年)2月28日、11代将軍・徳川家斉に拝謁した。同年12月16日、従四位下・大学頭に叙任した。しかし、家督相続前の寛政12年(1800年)11月5日、病気のために嫡子の地位を辞退した。代わって子の高巽が世嗣となった。
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