藤原良綱

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藤原 良綱(ふじわら の よしつな、生没年不詳)は、平安時代中期から後期のかけての貴族藤原北家長良流摂津守藤原範永の子。官位正四位下但馬守

経歴

後冷泉朝天喜4年(1056年源頼義の後任の陸奥守に任ぜられる。しかし、同年発生した阿久利川事件をきっかけに頼義と安倍頼時が戦闘状態に入ったことから、良綱は陸奥国に赴任しようとしなかった。そのため、12月になって頼義が陸奥守に重任されることになり、良綱は兵部大輔に転じた。

のち、後三条朝から白河朝にかけて、周防守阿波守但馬守と地方官を歴任している。

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原範永
  • 母:藤原能通の娘
  • 妻:源頼国の娘
    • 男子:藤原孝清
  • 生母不詳の子女
    • 男子:宗覚
    • 男子:真尊
    • 男子:維覚
    • 女子:源師忠室 - 藤原師通家女房
    • 女子:高階泰仲室

脚注

参考文献

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