藤原永保
平安時代中期の貴族。藤原南家貞嗣流。正五位下・権右中弁。子に藤原高䂓。 ウィキペディアから
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平安時代中期の貴族。藤原南家貞嗣流。正五位下・権右中弁。子に藤原高䂓。 ウィキペディアから
藤原 永保(ふじわら の ながやす)は、平安時代中期の貴族。藤原南家貞嗣流、播磨守・藤原尹文の子。官位は正五位下・権右中弁。
村上朝初頭に六位蔵人兼右衛門少尉を務める。村上朝後期の応和2年(962年)頃に大宰少弐兼筑前守として地方官を務めた。
円融朝に入ると、天禄年間(970年-973年)に左衛門権佐・権右中弁と京官を務める。この間の天禄元年(970年)冷泉上皇の厩人と藤原文範の仕丁との間で乱闘が発生した際、永保は検非違使として乱闘に及んだ人々を捕縛しようとするが、院の厩人から頭部に暴行を受け流血を伴う負傷を負った[1]。位階は正五位下に至る。
『尊卑分脈』による。
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