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平安時代初期の貴族。藤原緒嗣の長男。従四位上・左兵衛督 ウィキペディアから
藤原 家緒(ふじわら の いえお)は、平安時代初期の貴族。名は家雄とも記される[1]。藤原式家、左大臣・藤原緒嗣の長男。官位は従四位上・左兵衛督。
弘仁13年(822年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵し、美濃介に任ぜられる。
弘仁14年(823年)従兄弟に当たる淳和天皇が即位すると、従五位上・右近衛少将に叙任。天長3年(826年)正五位下次いで従四位下と一挙に昇進し、左兵衛督に任ぜられる。天長8年(831年)蔵人頭、天長9年(832年)正月に従四位上に叙任され公卿の座を目前にするが、同年3月20日に没した。享年34。最終官位は左兵衛督従四位上。
父・緒嗣の家風を受け継ぎ清廉な性格であった。典籍を非常によく学んだ事に加え、歩射も得意とした。大臣として朝政への参画を期待されたが、早逝したため果たせずに終わった[2]。
なお、これらの評は『日本後紀』に記されたものだが、その『後紀』の撰者は父である緒嗣であり、早世した自らの子を国史で評文した記事という事になる。
『日本後紀』による。
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