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平安時代前期の公卿・歌人。藤原北家良門流、藤原利基の四男。従四位下・参議。右兵衛督。子に藤原存忠(右馬少允)、兵衛命婦(後撰集作者) ウィキペディアから
藤原 兼茂(ふじわら の かねもり/かねもち)は、平安時代前期の公卿・歌人。藤原北家良門流、右近衛中将・藤原利基の四男。官位は従四位下・参議。
寛平9年(897年)兼茂自身が外戚にあたる醍醐天皇の即位に伴い六位蔵人になると、翌寛平10年(898年)左衛門少尉に任ぜられる。昌泰2年(899年)従五位下に叙爵して、引き続き昇殿を許されるが、昌泰の変が発生した翌年の延喜2年(902年)従五位上・播磨介に叙任され地方官に転じる。
延喜9年(909年)昌泰の変以降執政の座にあった左大臣・藤原時平が没すると、翌延喜10年(910年)兼茂は左近衛少将として京官に復帰する。のち左近衛権中将・左近衛中将・左兵衛督と武官を歴任する傍ら、延喜14年(914年)正五位下、延喜17年(917年)従四位下と昇進を重ねた。
延喜23年(923年)正月に参議に任ぜられ公卿に列すが、同年2月陣座において中風に倒れ、3月7日に卒去。最終官位は参議従四位下兼左兵衛督。
勅撰歌人として、和歌作品が『古今和歌集』に2首、『後撰和歌集』に1首採録されている[1]。『古今和歌集』によると、源実が筑紫に湯浴みに向かうのに同伴し、山城国と摂津国の境である山崎で歌を贈答した。
『公卿補任』による。
『尊卑分脈』による。
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