菊月(きくづき / きくつき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の29番艦である。同名艦に睦月型駆逐艦の「菊月」があるため、こちらは「菊月 (初代)」や「菊月I」などと表記される。
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艦歴 |
計画 | 1905年度[1] |
起工 | 1906年3月2日[1] |
進水 | 1907年4月10日[1] |
就役 | 1907年9月20日[1] |
その後 | 1912年8月28日三等駆逐艦[1] 1924年12月1日掃海艇編入[1] 1928年8月1日第十二号掃海艇 (初代) と改名[1] 1930年6月1日廃駆逐艦第12号と仮称[2] |
除籍 | 1930年6月1日[1] |
性能諸元 |
排水量 | 常備:381t 満載:450t |
全長 | 69.2メートル |
全幅 | 6.6メートル |
吃水 | 1.8メートル |
機関 | レシプロエンジン2基2軸、6,000hp |
最大速力 | 29ノット |
航続距離 | 11ノット/850カイリ |
乗員 | 70人 |
兵装 | 80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門 |
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1905年(明治38年)9月27日、命名(製造番号29号)[3]。1906年(明治39年)3月2日、浦賀船渠で起工[4]。1907年(明治40年)4月10日進水[4]。同月25日、駆逐艦に類別[5]。同年9月20日、竣工[4]。
第一次世界大戦では、シンガポール方面の警備に従事[1]
1924年(大正13年)12月1日、掃海艇に編入[6][7]。1928年(昭和3年)8月1日、日本海軍は第31号駆逐艦を睦月型駆逐艦「菊月」と改称[8][9]。これにともない「掃海艇 菊月」は第十二号掃海艇に改称[10][11]。1930年(昭和5年)6月1日、除籍[12]。廃駆逐艦第12号(2代目)と仮称。
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 町田亀彦 大尉:1907年8月5日 - 1908年12月3日
- 岡田政次郎 大尉:1908年12月3日 - 1909年2月1日
- (兼)伊東真三郎 大尉:1909年2月1日 - 2月20日
- (兼)山本節介 大尉:1909年2月20日 - 10月1日
- (兼)柘植道二 大尉:1909年10月1日 - 12月1日
- 徳田伊之助 大尉:1909年12月1日 - 1911年5月23日
- 中村淳一 大尉:1911年5月23日 - 1912年10月5日
- 小栗信一 大尉:1912年10月5日 - 1913年12月1日
- 長井実 大尉:1913年12月1日 - 1915年9月8日
- 木田新平 大尉:1915年9月8日 - 1916年9月1日
- 生島賢二 大尉:1916年9月1日 - 1917年12月1日[13]
- 松川晃 大尉:1917年12月1日[13] - 1919年12月1日[14]
- 松岡弘人 大尉:1919年12月1日[14] - 1920年7月15日[15]
- 志賀忠一 大尉:1920年7月15日[15] - 1922年8月19日[16]
- 野末信次郎 大尉:1922年8月19日[16] -
- 掃海艇長
- 多田武雄 大尉:1924年12月1日 - 1925年12月1日
- 大橋硠 大尉:1925年12月1日[17] - 1927年12月1日[18]
- 荘司喜一郎 大尉:1927年12月1日 - 1929年3月15日
- 佐々木健爾 大尉:1929年3月15日[19] - 1929年9月5日[20]
- (兼)上田光治 大尉:1929年9月5日[20] - 1930年1月20日[21]
『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」11頁。
#海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦長月及菊月命名ノ件 明治三十八年九月二十七日(達一四二)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二隻ヘ左ノ通命名ス|製造番號 製造所 艦名|第二十八號 浦賀船渠株式會社 長月ナガツキ/第二十九號 同 菊月キクツキ』 #達大正13年12月p.1『達第百三十七號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪|軍艦ノ欄内「水雷母艦」ヲ潜水母艦ニ改ム|驅逐艦三等ノ欄内「有明、吹雪、潮、初霜、神風、彌生、子日、如月、朝風、夕暮、若葉、春風、追風、初雪、時雨、夕立、響、初春、疾風、夕凪、卯月、水無月、長月、菊月、浦波、磯波、綾波」ヲ削ル|掃海艇ノ欄内「第六號」ノ次ニ「夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、浦波、磯波、水無月、長月、菊月、綾波、潮、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ加フ|水雷艇ノ欄ヲ削ル|備考第三號ヲ左ノ通改ム 掃海艇ヲ呼稱スルニハ「掃海艇何」ヲ以テス但シ番号ヲ附スルモノハ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」等ト稱ス 備考第四號ヲ削リ第五號ヲ第四號トス』 #除籍駆逐艦(2)pp.31-32『舊菊月(千噸以下)大正一三.一二.一掃海艇籍ニ入ル第十二號掃海艇ノ部参照(略)(大正一三.一二.一驅逐艦菊月第十二號掃海艇トナル)』 #達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 菊月キクヅキ トス』 #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年六月二十日(内令一六〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九號型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム |神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、朝凪、夕凪/睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月/吹雪型|吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波| 同部中「第二號型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |若竹型|若竹、呉竹、早苗、早蕨、朝顔、夕顔、芙蓉、刈萱| 掃海艇ノ部中「浦波型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |第七號型|第七號、第八號、第九號、第十號、第十一號、第十二號| 備考第二號中但書ヲ削リ第四號ヲ左ノ如ク改ム 四 掃海艇ヲ稱呼スルニハ「第何號掃海艇」ヲ以テス 同五號中「「第三十五號型驅逐艦」、」ヲ削ル #達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|掃海艇 菊月 ヲ 第十二號掃海艇 トス』 #除籍掃海艇p.4『第十二號掃海艇(千噸以下)驅逐艦菊月大正一三.一二.一掃海艇籍ニ入ル舊菊月ノ部参照(略)昭和五.六.一除籍』
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正13年達完/12月』。Ref.C12070084200。
- 『昭和3年達完/6月』。Ref.C12070089800。
- 『艦艇/駆逐艦(1) 恩給叙勲年加算調査 上巻 参考法例 在籍艦艇 昭和9年12月31日』。Ref.C14010003300。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇掃海艇』。Ref.C14010006600。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。