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陶磁器製の茶器 ウィキペディアから
茶入(ちゃいれ)とは、広義には抹茶を入れるのに用いる茶器全体を指し、狭義には棗に代表される木製茶器(薄茶器参照)に対する陶磁器製の茶器を指す。濃茶(こいちゃ)用は濃茶入、薄茶用は薄茶器または薄器などと略称される。棗は薄器の代表的なもの。また濃茶入は陶器、薄茶器は漆器が原則とされる[1]。
古くは茶壺を「大壺」と呼んだことに対して「小壺」と呼ばれ、また「葉茶壺」(はちゃつぼ)に対して抹茶を入れる容器として「擂茶壺」(すりちゃつぼ)とも呼ばれた。現在では濃茶を入れる容器として特に「濃茶器」(こいちゃき)とも呼ばれる。
蓋には象牙が用いられ、蓋の裏は金箔張りが施されていることが多い。
陶器としては「なんの変哲もない褐釉小壺」[2]に過ぎず、これらの微妙な個性に美しさを見出す点は茶の湯文化の際立った特異性となっている。
他にも多くの種類があり、さらに名物にちなんだ細かな分類(名物手)もなされる。
中世の日本で施釉陶器の生産が遅れていたことから、中国から油壺(諸説あり)などとしてもたらされた施釉の小壺なども大切にされていた。室町時代には抹茶を入れる容器として価値を高め、室礼の様式化に伴って優品が選ばれるようになると(『君台観左右帳記』を参照)、特に優れた物には銘が与えられて「名物」となった。また対となる陶器製の蓋は最初から製作されていなかったようであり、現在見るような象牙の蓋は日本人が付けたと考えられている。 特に桃山時代にはその優劣を見極める技術(「目利」)は数寄者(茶人)の必須技能となり、「名物」を見るために多大な労力を払うようになった。さらに小間の茶が追求される中で(わび茶参照)、書院に適した格式の高い茄子よりも、肩衝が重要視されるようになった。
和物茶入、特に瀬戸茶入について話すときに避けて通ることができないのが「窯分け」である。「窯分け」とは和物茶入の分類法で、形や釉薬の調子を参考にグループ分けをしたものである。 1811年出雲松江藩主で茶人の松平不昧(1751〜1818)が『瀬戸陶器濫觴』で提唱した。不昧によれば、和物茶入は瀬戸茶入を中心として次の8段階の歴史がある。
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