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芥川 義矩(あくたがわ よしのり、1732年〈享保17年〉 - 1810年5月20日〈文化7年4月18日〉)は江戸時代中期-後期の忍者。甲賀流の流れをくむ芥川流忍術の5代目。通称は九郎左衛門、又は九郎右衛門。
この節の出典:[1]
芥川家は室町末期の将軍足利義尚の時代、長享元年(1487年)室町幕府が行った近江守護・六角行高(後の六角高頼)に対する親征で、六角征伐とも称される戦、「
この節の出典:[3]
天明元年(1764年)、隣国諏訪で起きた「二の丸騒動」と言われるお家騒動で、諏訪藩家老諏訪頼保によって失脚させられ、押込(牢に監禁)にされていた上席家老の千野貞亮(兵庫)[4]を、主、松平光和の命により救出し(秘薬を使って透明になり警戒厳重な牢屋に忍び込み、千野にもその秘薬を与えて共に透明人間になり、誰にも気付かれずに脱出したとの伝説あり[5])、江戸藩邸に送り届けた。千野は無事に松平乗寛のもとへこの事態を訴え、助けを求めた。幕府の裁許をうけ頼保一党は処罰された。
この節の出典:[6]
江戸時代中期に書かれた「見聞雑録」に、芥川義矩の忍術のことが書かれている[5]。
ある晩、刺客が義矩宅に忍び込み隙間から
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