色部昌長
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永正の乱
永正4年(1507年)、越後守護代・長尾為景が上杉定実を擁立し、越後守護・上杉房能に対し反旗を翻すと(永正の乱)、昌長ら揚北衆の多くは守護方に味方した。為景により房能が自刃に追い込まれて以降も昌長は本庄時長・竹俣清綱らと共に抗戦を続けた。
同じ揚北衆である中条藤資・築地資茂らが為景に属し色部氏らを攻撃してくると、昌長は平林城に籠城し、上杉顕定に救援を求めたが、為景に阻まれ、翌永正5年(1508年)に城は陥落、昌長は為景に降伏した。
参考文献
- 池亨 『上杉謙信の本音』吉川弘文館 2024年10月
関連項目
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