老莱子
二十四孝のひとり ウィキペディアから
老莱子(ろうらいし[1]、旧字体: 老萊子、紀元前5世紀?[2])は、中国春秋時代楚の隠士[2]。道家の思想家。儒教の『二十四孝』にも数えられる[2]。一説には老子と同一人物[2]。著作に『老莱子』があったが現存しない[2]。
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人物
老子の正体は諸説あり、一説に老莱子とする説があった。老莱子は、孔子と同時代の道家の楚人だった[2](『史記』老子韓非列伝)。
老莱子は大変な親孝行者であり、70歳になっても五彩の着物(綵衣、斑蘭の衣)を着て幼児のマネをし、親に歳を忘れさせ喜ばせた(『二十四孝』戯彩娯親、『蒙求』老莱班衣、武氏祠画像石ほか)[1][2][3]。
その他、孔子や子思と対話した説話(『荘子』外物、『孔叢子』抗志)、楚王への出仕を拒み妻と隠棲した説話(『列女伝』楚老莱妻ほか)などが伝わる。
『老莱子』
道家の書物として『老莱子』があった[2]。『史記』老子韓非列伝では15篇、『漢書』芸文志では16篇とされ、『隋書』経籍志以降は著録されていない[2]。
脚注
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