約翁徳倹
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約翁徳倹(やくおうとっけん)は、鎌倉時代に活動した臨済宗大覚派の禅僧である。蘭渓道隆下2世。建仁寺14世、建長寺15世及び南禅寺5世。仏灯国師。
寛元2年(1244年)に嬰棄児として見つかり、某氏が養育していたが、蘭渓道隆に見出されて仏道を学び、東大寺で受戒。師に従い建長寺次いで建仁寺に移る。さらに中国に渡って育王山寂窓有照、天童山石帆惟衍、浄慈寺東叟仲頴、霊隠寺虚舟普度、径山蔵叟善珍、簡翁居敬、覚菴夢真の許に参禅し、道友として晦機元煕、一山了万、末宗本、寂菴相等を得た。帰国後は師の許に戻り、永仁4年(1296年)には建長寺首座となり、山内に長勝寺を開いた。その後、東勝寺、浄妙寺および禅興寺の住持を務め、徳治元年(1306年)には建仁寺12世、さらに建長寺15世となった。文保2年(1318年)、後宇多院の招きにより一山一寧の後任として南禅寺5世となった。開堂に当たって院が臨席し国師号を賜った。元応2年5月19日(1320年7月3日)寂。法嗣に寂室元光、霊叟太古、大虚元寿、方涯元圭、秀山元中、南嶺子越、月翁元規、柏巌可禅、片山元矩、養直元育、月窓元暁及び實田元穎がいる。語録として『仏灯国師語録』がある。また、永源寺と牧護庵(南禅寺塔頭)には『絹本著色約翁徳倹像』が伝わり、それぞれ重要文化財に指定されている[1][2]。
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