紀元前1700年代
- 紀元前1700年 - 1500年頃 - フルリ人の拡散(ヤムハド王国・ミタンニ王国)。
紀元前1600年代
- 紀元前1600年頃
- 紀元前1600年頃
- 紀元前1600年頃 - 紀元前1200年頃
紀元前1590年代
- 紀元前1590年頃
- ヒッタイト王ラバルナ1世が死去、ハットゥシリ1世が即位( - 紀元前1540年頃)。
紀元前1570年代
- 紀元前1574年頃 - 上エジプトのセケンエンラーが反乱を起こす。
- エジプト第15王朝(大ヒクソス)に反乱したセケンエンラーのテーベ政権は第17王朝と呼ばれる。
- この事績は後代の『アポフィスとセケンエンラーの争い』と呼ばれるテクストにまとめられる。
- 紀元前1573年頃 - セケンエンラーの死去後、息子のカーメスが反乱を継続し領土を拡大。
- 紀元前1570年頃 - 第17王朝のカーメス死去。弟のイアフメス1世がテーベの支配者となる。
紀元前1560年代
- 紀元前1560年頃 - エジプト第17王朝が、ヒクソス系第15王朝の都アヴァリスを陥落させる。
- 第15王朝の王カムディはエジプトから撤退しパレスチナのシャルヘンに退去。
- エジプト第15王朝に従属していた第16王朝(小ヒクソス)もこの時期までに崩壊する。
- イアフメス1世がエジプトを統一。第18王朝の成立(第17王朝と第18王朝は血族)。
- テーベが都となり、この地の地方神であったアメンがかつての国家神ラーと習合し、アメン・ラー神として信仰される。
紀元前1550年代
- 紀元前1551年頃 - エジプトでアメンヘテプ1世が即位。カルナック神殿の造営が始まる。
- 紀元前1550年頃
- ミノア文明の最盛期(新宮殿時代(中期青銅器時代(土器編年LMIA)))。
- ミロス島のフュラコピ、サントリーニ島のアクロティリ、キュティラ島のカストリ、ロードス島のトリアダ、イオニアのミレトスまで勢力拡大。
- 「アガメムノンのマスク(アテネ国立考古学博物館蔵)」が作られる( - 紀元前1500年頃)。
- このマスクは金でできた葬儀用のものであり、ミケーネの城壁内の円形墓群Aの5号墓に埋葬されていた遺体の顔の上に置かれていた。
紀元前1540年代
- 紀元前1540年頃 - ヒッタイト王ハットゥシリ1世が死去し、孫のムルシリ1世が即位。
- 在位中にムルシリ1世はハルペ(現アレッポ)を中心としたアムル人国家ヤムハドを滅ぼす。
紀元前1530年代
- 紀元前1531年頃 - ヒッタイト王ムルシリ1世がバビロン王サムス・ディタナを倒しバビロニアを攻略。
- ヒッタイトの撤退後のバビロニアにはカッシート人の王朝が成立する(バビロン第3王朝)。
- またバビロニアの混乱でメソポタミア北部のハブル川上流域でフルリ人のミタンニ王国が成立する。
- フルリ人は他にチグリス川流域北東にアラプハ王国を形成した。とりわけヌジ(英語版)遺跡(ヨルガン・テペ)が有名。
- 紀元前1530年頃 - ヒッタイト王ムルシリ1世が義兄弟にあたるハンティリに暗殺される。
紀元前1520年代
- 紀元前1524年頃 - エジプトでトトメス1世が即位( - 紀元前1518年頃)。
- シリア方面に領土を拡大し、ミタンニを攻撃して、エジプト王として初めてユーフラテス川を渡り、カルケミシュに記念碑を建てる。
- アル・クルン山麓に「王家の谷」と呼ばれる専用の地下墳墓を作り、以後の王族にもこの墳墓は使用される。
紀元前1500年代
- 紀元前1500年前後 - ヒッタイト王テリピヌの治世。
- 王位継承の原則などを定めた「テリピヌ法典(英語版)」をまとめる。
- セケンエンラー - エジプト第17王朝のファラオ(在位前1573年)
- カーメス - エジプト第17王朝のファラオ(在位前1573年 - 前1570年)
- イアフメス1世 - エジプト第18王朝のファラオ(在位前1570年 - 前1546年)
- ラバルナ1世 - ヒッタイト古王国時代初代の王(在位? - 前1565年頃)
- ムルシリ1世 - ヒッタイト古王国時代の王(在位? - 紀元前1530年頃)・バビロン第1王朝を倒す
- 天乙(湯王) - 殷の初代の王(在位前1600年頃)
- 伊尹 - 殷初期の政治家・阿衡として天乙(湯王)を補佐
- 紀元前1526年 - アトランティス滅亡。初代マスター、クロノスのクリスタルを手に入れるためアトランティスに到達。(ドラマ『ドクター・フー』)
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