Loading AI tools
徳川家の家臣、徳川十六神将の一人 ウィキペディアから
米津 常春(よねきつ つねはる)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。徳川家康に仕え、徳川十六神将の一人に数えられる[4]。
三河国の有力国人松平氏に歴仕した米津勝政の子。自身も13歳より松平氏に仕え、天文18年(1549年)安城合戦では自ら槍を取って勇戦する。その後も徳川家康の部将として、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの前哨戦である丸根砦攻めでは家康の護衛を務めた。以後も家康の三河平定軍に従軍し、永禄6年(1563年)三河一向一揆平定、永禄7年(1564年)宝飯郡赤坂の戦いに従軍。生涯で戦功は18度、一番槍13度、手傷73か所を数え、禄高は3000石を領した[3][1][2]。だが若くして目を病み、後年には失明して蟄居した[3]。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは家康に供奉。慶長17年(1612年)江戸において没[1][2]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.