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日本の江戸時代中期の武士。加賀藩重臣篠原長栄の子で、篠原織部家4代当主(篠原本家5代当主)。定火消・家中一統・出銀奉行等を歴任 ウィキペディアから
篠原 幸昭(しのはら としあき、元禄10年(1697年) - 宝暦3年7月4日(1753年8月2日))は、江戸時代中期の加賀藩士。人持組・篠原本家第5代当主。通称は縫殿。石高は4000石。家紋は左三つ巴。菩提寺は曹洞宗桃雲寺で[注釈 1]、戒名は空照院殿月庭良円居士。
父は第4代当主篠原長栄(長賢)。母は加賀八家・駿河守前田孝貞の娘。篠原縫殿幸昭が生きた時代は、徳川吉宗が改革を行っている最中に享保の飢饉が起こり、加賀藩内も加賀騒動[注釈 3]が持ち上がり、不安定な時代であった。享保5年(1720年)4月、薪蔵請取火消。同年9月、天徳院請取火消。享保9年(1724年)8月、定火消[注釈 4]。寛保元年(1741年)9月には家中一統・出銀奉行となる。宝暦3年(1753年)7月4日に死去。桃雲寺で葬儀が執り行われ、野田山墓地[注釈 5]に葬られた。なお、邸は、「算用場」向かいの角[注釈 6]にあった。
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