賀の祝い

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賀の祝い(がのいわい)は、一定の年齢になったことを祝う日本儀礼である。算賀(さんが)、賀寿(がじゅ)、年祝(としいわい)とも言う。

歴史

奈良時代には40歳から10歳ごとに長寿を祝う風習があった[1]。これは中国から伝来したもので、供宴、奏楽、作詩、作歌等で祝われた。また、例えば、40歳であれば白馬40頭、薬師経40巻、唐櫃40合のように、その年数に合わせた数量の品物を贈る風習があった[2]

賀の祝いの初期の例として、『懐風藻』には長屋王の四十賀(715年)を祝したと思しき賦詩が残っている。また、『東大寺要録』には聖武天皇の四十賀(740年)に良弁が『華厳経』を講じたとの記録がある[3]

中世になると、古稀(70歳)、喜寿(77歳)、米寿(88歳)、白寿(99歳)などが祝われるようになり、近世以降にはさらに還暦(60歳)が祝われるようになった[4]。一方、現在では40歳や50歳の祝いが行われることは一般にはなくなっている[5]

奄美では干支が年齢の祝い(トゥシヌユェ)として祝われている。数え13歳は13サナギと称し、成人として認められる元服の式として公的に祝う、25、37、49歳は単なるトゥシヌユェとして家族のみで祝う、数え61歳は還暦で正月二日に親戚、近所住人を招待し祝う、以後12年毎に同様の祝いが開催される。

脚注

関連項目

外部リンク

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