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第3歩兵師団 (韓国陸軍)
韓国陸軍の師団 ウィキペディアから
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第3歩兵師団(だい3ほへいしだん、朝: 제3보병사단、第三步兵師團)は、大韓民国陸軍の師団の1つ。別名は「白骨部隊」[注 3]、白骨になるまで戦うという意味である[1]。なお、師団の敬礼口号は「白骨」。
歴史
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第3師団の始まりは1947年12月1日に釜山で編成された第3旅団で、1949年5月12日に師団に発展した[2]。編成時、隷下の部隊は第5連隊、第6連隊、第9連隊であったが、部隊移動によって1950年の時点で第22連隊[注 4]、第23連隊の2個連隊、および独立報国大隊となっていた。嶺南地区のゲリラ討伐に従事していた[3]。
1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると隷下の第22連隊をソウルに派遣した。1950年7月、東海岸沿いでアメリカ海軍の支援を受けながら朝鮮人民軍第5師団の侵攻を阻止した。7月下旬、第2次再編計画によって、隷下部隊は第22連隊、第23連隊、機甲連隊に変更され、釜山橋頭堡の戦いで朝鮮人民軍第5師団と交戦した。8月16日、戦車揚陸艦4隻で海上撤退(長沙洞撤収作戦)。9月の慶州の戦いでは、兄山江で人民軍の進攻を阻止した。
1950年10月1日に麾下の第23歩兵連隊が38度線を突破し(この日はのちに国軍の日に指定された)、10日には元山を占領した[4]。1950年12月、中国人民志願軍の攻勢により、城津から撤収した[5]。12月15日、韓国軍第2軍団に隷属し、洪川付近に浸透した朝鮮人民軍と交戦した。
1951年2月、アメリカ軍第10軍団(軍団長:アーモンド少将)に配属。
1951年3月7日、韓国軍第3軍団に配属[6]。
1951年5月、中朝軍の五月攻勢で敗走。第3軍団は解体され、第1軍団に編入された。ヴァンフリート中将による集中訓練計画で、9週間訓練を受けて練度が向上した[1]。
1951年10月19日、アメリカ軍第10軍団に編入され、第5師団の作戦地域(加七峰地域)を引き受けた[7]。
1951年10月27日から31日まで加七峰前方の1052高地と1211高地を攻撃[7]。
1951年11月23日、楊口に移動し、11月27日から1952年1月7日まで教育訓練を実施[7]。
1952年2月、662高地で戦闘[8]。1952年4月5日、再建された第2軍団に編入[9]。
1953年4月13日から作戦地域を第5師団に引き渡し、第8軍予備となって部隊整備を実施[9]。
2020年12月には、韓国政府の「国防改革2.0」により、予下3個歩兵連隊・1個砲兵連隊が旅団に昇格した。
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編制
- 第18歩兵旅団
- 第22歩兵旅団
- 第23歩兵旅団
- 砲兵旅団
- 第11砲兵大隊
- 第71砲兵大隊
- 第72砲兵大隊
- 第635砲兵大隊
- 直轄隊
- 戦車大隊
- 偵察大隊
- 工兵大隊
- 整備大隊
- 憲兵大隊
- 情報通信大隊
- 補給輸送大隊
- 補充中隊
- 防空中隊
- BGM-71 TOW中隊
- 本部勤務隊
- 医務勤務隊
- 化生放支援隊
師団長
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脚注
参考文献
関連項目
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