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筑後国三池藩の第2代藩主 ウィキペディアから
立花 種長(たちばな たねなが)は、筑後国三池藩の第2代藩主。
寛永2年(1625年)8月、初代藩主・立花種次の長男として生まれる。寛永7年(1630年)、父の死去により家督を継ぐ。寛永14年(1637年)の島原の乱では幼少のため、叔父の立花忠茂が代理として出陣している。
成長してからは藩政を取り仕切り、島原の乱後から行なわれた踏絵、宗門改めを強化した。さらに三代官制を五代官制に改めて農民統制を強化した(承応元年(1652年)に三代官制に再編)。その一方で家臣・平塚信昌を重用して早鐘地を築き、通水用の早鐘眼鏡橋(国の重要文化財)を架橋するなど、藩政の確立に尽力した。万治3年(1660年)、12月28日に従五位下、和泉守に叙任する。
天和2年(1682年)2月27日、長男・種明に家督を譲って隠居し、道運と号した。宝永8年(1711年)2月1日に三池で死去した。享年87。
子女は8男7女
父母
正室、継室
子女
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