窮理(きゅうり)は、「をきわめる」(理を探究する・研究する)を意味する漢語。『易経』説卦伝の一節「窮理盡性以至於命」に由来する。

中国

主に朱子学の用語として使われ、「格物致知」と結び付けて「格物窮理」とも言われた。

朱子学以前の中国仏教にも「窮理盡性」の用例があり、道安『二教論』[1]僧肇『注維摩』[2]僧叡『小品経序』[3]などに見られる。

幕末明治

江戸時代後期から幕末明治初期には、「窮理」が朱子学から独立して使われた[4]。すなわち、西洋由来の自然学全般(洋学自然科学自然哲学)、特に現代でいう「物理学」(英語: physics)が「窮理」や「窮理学」と呼ばれ、窮理の書物(窮理書)が多数刊行された。明治初期には「窮理」が流行語になった(窮理熱[5]

窮理書の内容は、基本的には「空気」「」など身近な物について解説する科学啓蒙的な内容である。例として以下がある。

オッペケペー節』の歌詞にも「窮理」が出てくる。

幕末の朱子学者・大橋訥庵は、以上のような「窮理」の転義を嘆いていた[8]

関連項目

脚注

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