禁獄
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律令法の五刑には獄に拘禁するのみの刑は存在しなかった。囚獄司という官司も存在したが、その目的は未決囚の拘留、死罪・流罪の執行までの拘禁、徒刑者の収容・拘禁にあった。
平安時代に死刑の停止が行われると、これに代わる刑罰の1つとして令外官である検非違使で行われるようになった。
鎌倉時代の御成敗式目などでは、悪口や傷害などの軽微な犯罪に対して行われて、召籠とも呼ばれた。
明治初期には、律令法の五刑がそのまま復活したために禁獄規定は無かったが、杖罪・笞刑の代用として禁獄・懲役の採用が行われ、明治6年(1873年)に死刑と懲役の二本立てに整理され、その際に士族に対する閏刑として自宅での禁錮が採用されたが、翌年には獄中での禁錮に変更され名称も「禁獄」とされた。
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