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日本の皇室令 ウィキペディアから
皇室服喪令(こうしつふくもれい、明治42年6月11日皇室令第12号)は、皇族の喪、大喪、宮中喪などに関する皇室令である。
大日本帝国憲法・旧皇室典範下の1909年(明治42年)に制定され、1947年(昭和22年)5月1日に公布された皇室令及附属法令廃止ノ件(昭和22年皇室令第12号)により、日本国憲法が施行される前日の同年5月2日限り廃止された。
皇族は父、母、夫の喪に1年、祖父母、夫の父母、妻の喪は150日、曾祖父母、母方祖父母、父の兄弟姉妹、兄弟姉妹の喪は90日、高祖父母、嫡母、継母、夫の祖父母、母の兄弟姉妹、父の異父兄弟姉妹、異父兄弟姉妹、子の喪は30日、男系の孫、父の兄弟の子、母の異父兄弟姉妹、兄弟の子、夫の嫡母継母、妻の父母の喪は7日、母方高祖父母、母方曾祖父母、男系の曾孫玄孫、父の姉妹の子、姉妹の子、異父兄弟姉妹の子、母の兄弟姉妹の子、女系の孫の喪は5日とし、7歳未満の殤には喪に服さない。
天皇は皇族でない親族のためには、皇族は同族または華族でない親族のためには、喪に服さない。
二様の親族関係があるときはその喪はその重きに従う。
両喪重複するときは重複の間その重きに従う。
皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃の薨去の場合にはその日から3日間および喪儀をおこなう当日、臣民も喪に服する。
ただし7歳未満の殤についてはこの限りでない。
親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の国葬の場合には喪儀を行なう当日臣民も喪に服する。
喪服に関する規定は勅定により宮内大臣(現在の宮内庁長官職に相当)が広告する。
天皇が大行天皇(崩御した後にその天皇の追号が定められるまで、新たに即位した天皇と区別するための呼称)、太皇太后、皇太后、皇后の喪に当たるときは大喪とする。
天皇は大行天皇および皇太后のためには1年、太皇太后のためには150日の喪に服する。その他の場合は上記のとおり。
大行天皇および皇太后のためにする大喪を諒闇とする。
皇妣(天皇の亡母)である太皇太后のためにする大喪もまた同じく諒闇とする。
大喪に関する事項は宮内大臣が広告する。
天皇が喪に丁るときは大喪を除き、宮中喪とする。
天皇は上記の規定にかかわらず皇太子、皇太孫のためには90日の喪に服する。
ただし7歳未満の殤には3日である。
天皇は親族関係にかかわらず皇太子妃、皇太孫妃のためには30日の喪に服する。
宮中喪に関する事項は宮内大臣が広告する。
1年の喪は3期に分ち、第1期および第2期はそれぞれ50日とし、残日数を第3期とする。
150日の喪は3期に分ち、第1期および第2期はそれぞれ30日、残日数を90日とする。
90日の喪は2期に分ち、第1期は20日、第2期は70日とする。
30日の喪は2期に分ち、第1期は10日、第2期は20日とする。
7日以下の喪は期を分けない。
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