白井文吾

日本の新聞記者、実業家 (1928-2024) ウィキペディアから

白井 文吾(しらい ぶんご、1928年昭和3年〉1月27日 - 2024年令和6年〉10月29日)は、愛知県田原市出身の日本新聞記者実業家株式会社中日新聞社顧問名誉会長。株式会社中日ドラゴンズ名誉オーナー。

概要 白井 文吾(しらい ぶんご), 生誕 ...
白井 文吾
(しらい ぶんご)
生誕 (1928-01-27) 1928年1月27日
日本 愛知県田原市
死没 (2024-10-29) 2024年10月29日(96歳没)
教育 旧制静岡高等学校(現静岡大学
職業 中日新聞社顧問名誉会長
中日ドラゴンズ名誉オーナー
活動期間 1949年 - 2024年
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株式会社中日新聞社代表取締役社長・会長、株式会社中日ドラゴンズオーナー、株式会社ナゴヤドーム代表取締役社長、一般社団法人共同通信社理事会長[1]東海テレビ放送取締役[2]名古屋市教育委員会委員長、日本新聞協会理事を歴任した[3]

経歴

1928年1月27日愛知県田原市で生まれる[4]

旧制愛知県立成章中学校(現、愛知県立成章高等学校)、旧制静岡高等学校(現、静岡大学)を卒業後、1949年(昭和24年)中部日本新聞社(現・中日新聞社)に入社する。名古屋本社編集局整理部長、名古屋本社編集局長、専務取締役、代表取締役社長・会長などを歴任した。

現場の記者から叩き上げて社長となった人物でもあり、主に社会部で警察担当記者として凶悪事件の取材・報道などを担当していたという。

1997年3月、中日新聞代表取締役社長に就任[5]

2000年3月、中日ドラゴンズのオーナーに就任[5]

2003年、中日新聞会長に就任した[6]

2012年日本プロ野球オーナー会議議長を務める[7]。2018年にも同職を務めた[8]

2020年6月、中日新聞取締役を退任し、顧問名誉会長に就任した[6]

2021年3月、中日ドラゴンズのオーナーを退任し、名誉オーナーに就任した[9]。オーナーとしては中日ドラゴンズ元監督の落合博満の招聘に尽力した[9]

2021年4月の春の叙勲旭日重光章受章[10][11]

2024年10月29日老衰のため死去[3]96歳没。没日付にて正四位追叙[12]

脚注

関連項目

外部リンク

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