甲波宿禰神社 (渋川市川島)
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甲波宿禰神社(かわすくねじんじゃ)は、群馬県渋川市川島にある神社。祭神は速秋津彦神、速秋津姫神[1]。上野国群馬郡の式内小社。旧社格は郷社。
由緒
当社の社記によれば、箱島村(現・東吾妻町箱島)の甲波宿禰神社、祖母島村(現・渋川市祖母島)の宿祢神社(現・武内神社)、湯上村(現・渋川市行幸田)の甲波宿禰神社は、文安年間(1444年 - 1449年)に当社から分祀されたものという[3]。
「甲波」を川、「宿禰」を「直根」として「川の本流」を意味する社名と解し、吾妻川沿いの箱島・祖母島・川島と「島」のつく地に3社が並んでいたことから、吾妻川を神格化したものと尾崎喜左雄は説明している[4]。
天明3年(1783年)7月に浅間山噴火で社殿が流失するが、天明5年(1785年)9月19日に現在地に再建される[5]。本殿は天明年間、拝殿は棟札から弘化2年(1845年)の建築とみられる[6]。
江戸時代には光明寺という修験寺院が別当寺として存在したが、明治維新後に廃寺となった[7]。
- 鳥居
- 神楽殿
- 古社地
社格

- 承和13年(846年)8月 - 従五位下(甲波宿禰神)[8][2]
- 嘉祥3年(850年)12月 - 官社[9][2]
- 貞観9年(867年)6月10日 - 従五位上(甲波宿禰神)[10][2]
- 貞観11年(869年)12月25日 - 正五位下(甲波宿禰神)[11][2]
- 貞観18年(876年)4月10日 - 正五位上(甲波宿禰神)[12][2]
- 元慶4年(880年)5月15日 - 従四位下(甲波宿禰神)[13][2]
- 永仁6年(1238)以前 - 従一位甲波宿祢神)(『上野国神名帳』一宮本)[14]
- 寛政5年(1794年)8月26日 - 正一位(甲波宿禰大明神)(宗源宣旨) [2]
- 明治13年(1881年)5月 - 郷社[15][2]
- 明治42年(1909年)2月27日 - 神饌幣帛料供進神社[15][2]
祭神
主祭神
合祀
- 大山祇神
- 誉田別神
- 川島村字西大塚の無格社・八幡社に祀られていた祭神。明治11年に氏子が提出した「神社保存願」が承諾され合祀を免れたが、明治40年7月に合祀した[16]。
配祀
- 本殿
- 本殿の装飾
境内社
摂社
- 諏訪神社
- 神明社
末社
- 天之御中主神、神皇産霊神、高皇産霊神、天照皇大神
- 天神社
- 猿田彦大神
- 庚申社
- 火雷神 - 寛政7年(1796年)6月18日合祀
- 牛頭天王 - 寛政7年(1796年)6月15日合祀
- 堅牢地神 - 享和3年(1804年)12月合祀
- 大黒天
- 諏訪神社
- 稲荷社
- 神明社
- 北辰社
文化財
渋川市指定重要文化財
渋川市指定重要無形文化財
交通
脚注
参考文献
関連項目
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