玉木正誼
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玉木 正誼(たまき まさよし)は、幕末の長府藩・長州藩士。陸軍大将・乃木希典の実弟。松下村塾の創立者玉木文之進の養子。養父・文之進は吉田松陰の叔父であり師である。
嘉永6年(1853年)、長府藩士・乃木希次の四男として江戸の長州上屋敷にて生まれたが、慶応2年(1866年)に後述の理由により、元服時に玉木文之進正韞の養子となる。
明治2年(1869年)、玉木文之進により松下村塾が再開されるとその補佐を行う。明治7年(1874年)、文之進の甥であり吉田松陰の実兄にあたる杉民治の長女・豊子を娶る。
明治9年(1876年)、萩の乱に首謀者・前原一誠の参謀として参加する。明倫館にて在校生有志を募り、殉国軍第一大隊を結成し、松下村塾生らを第二大隊とした。10月31日、橋本橋の戦闘で戦死した。享年24。
虚弱な兄・希典(無人=なきと)と異なり丈夫な体に恵まれていたため、「真人=まこと」と命名された。文之進の実子玉木正弘が御楯隊員として功山寺挙兵に参加し、元治2年(1865年)1月21日に絵堂の戦いにて戦死したため、玉木家の宗家である乃木家から分流の玉木家へ養子に出され、正誼と改名した。
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