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片山牧羊(かたやま ぼくよう、1900年(明治33年) - 1937年(昭和12年)8月26日)は、明治期の日本画家。庄田鶴友、蔦谷龍岬、荒木十畝に師事し、旧帝展特選1回入選3回に及んでゐた。
1900年、尾道市長江町に生まれる。本名健三。[1]父は漢学者の片山辰之助。[2]1915年、大阪で南画を学ぶ。また、合川澄水に書道を学ぶ。1917年、京都で、庄田鶴友に師事し日本画を学ぶ。また、山本竟山に書道を学ぶ。この頃、短歌集『曼珠華沙』を作る。1921年上京し、蔦谷龍岬塾・鐸鈴社に入門、本格的に日本画を学びはじめる。1927年、第8回帝展に「おぼろ」を出品、初入選で特選を受賞する。1928年、第9回帝展に「森」を無鑑査出品する。久邇宮家の格天井に「曼珠沙華」を描く。1929年、第10回帝展に「漁村春懶(ぎょそんしゅんらい)」を出品。柳悦孝が書生として入門。1930年、第11回帝展に「破寂」を出品。1931年、柳悦孝が日本画から工芸に転じ、書生をやめる。塩出英雄が福山から上京し門下生となる。1931年「かげろう」を出品した直後に病に倒れ、再び帝展に姿をみせることはなかった。1932年、妻の実家、福山市松永町に帰郷する。1935年、サイパン島に旅行する。(同年帰国)1937年8月26日、逝去。[3]
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