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日本初の男性向けエロ同人誌 ウィキペディアから
『シベール』は、吾妻ひでおの漫画制作プロダクションである無気力プロダクション[注釈 1]のシベール編集部が、コミックマーケット(コミケ)11〜17で販売していた日本初のロリコン漫画同人誌。
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シベール | |
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Cybele | |
『シベール』外観 何ひとつ表記のない黒一色の装幀が特徴的 | |
愛称・略称 | シベ・黒本・黒シベ |
ジャンル |
男性向創作系 ロリコン漫画 アニパロ漫画 近親相姦 百合・レズ 獣耳・ケモノ SF・不条理ギャグ ジュブナイルポルノ 二次元コンプレックス |
読者対象 | 青年・おたく |
刊行頻度 | 季刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
定価 | 300円(Vol.5以降400円) |
出版社 | 無気力プロ |
編集部名 |
シベール編集部 →グループ・シベール |
発行人 | 吾妻ひでお |
編集長 | 沖由佳雄 |
制作協力 | 蛭児神建=アリスマニア集団・キャロルハウス出版部 |
刊行期間 | 1979年4月8日 - 1981年4月5日 |
特記事項 | 成人向につき18歳未満閲覧禁止(コミックマーケットで頒布された男性向けエロ同人誌の記念すべき第1号) |
1979年4月に創刊され、1981年4月の第7号で終刊した。誌名は吾妻ひでおの命名で、当時たまたまNHKでやってた映画『シベールの日曜日』に由来する[2]。黒一色の表紙で、紙袋やビニール袋に入れられて[3][4]人目を忍ぶように販売されていたため「謎の黒本」とも称された[2][注釈 2]。なお『シベール』はコミケで行列が出来た最初の同人サークルといわれる[6][2]。
同誌は男性向けエロ同人誌の草分けかつ立役者的役割の同人サークルで、コミケ黎明期におけるロリコンブームの起点となったことで名が知られる。また、同誌の潮流は『レモンピープル』『漫画ブリッコ』を始めとする美少女コミック誌の成立に多大な影響を与え、その後の美少女アニメや美少女ゲームの発展にもつながった。現在では資料的価値も指摘されているが[7]、同人誌というメディアの性質上、国立国会図書館など公共機関での所蔵は皆無に等しく[注釈 3]、全体を目にすることは極めて困難となっている。
主な執筆者はシベール編集部の吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建、仁科蒼一、孤ノ間和歩、計奈恵、豊島ゆーさく、三鷹公一、早坂未紀、森野うさぎ、川猫めぐみ、海猫かもめ等で、全員別名義で描いている[8][9]。主力作家は、漫画やアニメの愛好家が出入りしていた江古田の喫茶店・まんが画廊に置かれていた「らくがき帳」[注釈 4]に常連客が残した落書きをみて、吾妻のアシスタントであった沖由佳雄がスカウトした[11][9]。
吾妻によると本誌は「コミケからやおいを駆逐する」目的で創刊したとのことで、これは同誌のスローガンにもなった[3]。コミックマーケット準備会の資料などによれば、最初期のコミケットに訪れる参加者の9割以上が女性、花の24年組を筆頭とする少女漫画ファンを中心とした女子中高生や漫画誌『COM』の流れを汲む漫画研究会の大学生などであり[注釈 5][13][14][15][16][17][18]、流行していたのも『ポーの一族』の下ネタパロディ『ポルの一族』[注釈 6][15][19][20]をはじめとする「やおい」もの[注釈 7]や、『宇宙戦艦ヤマト』ないしサンライズ作品などに登場する美形悪役キャラの同性愛を扱ったものばかりであったことから[3][16][18][22]、ロリコン漫画の出現とは「やおい」が席巻するコミケという場へ向けた、男性側からの一種のカウンターカルチャーであったのだという[23]。
蛭児神建は『シベール』に先駆けて日本初のロリコン同人誌『愛栗鼠』を1978年12月17日の「コミックマーケット10」で発表していた。蛭児神は「やおいがあったからこそ『シベール』ができたということもあるわけです」「ロリコン同人誌を作ること自体、勇気が要ることだったんですよ。やおいがなければ、それをやる勇気はなかったかもしれません。やはり、いくら迫害されてもしようがないという意識があったわけです」と後年回想しており[24]、森川嘉一郎はコミケにおける「やおい」の隆盛について、「それに対する対抗意識と同時に、アニメの、もしくはアニメ調の絵柄のエロパロが許容される場をそこに形成し、 ロリコンマンガの発表を促していたのである。その意味では、やおいはロリコン同人誌の母だったとさえいえるかもしれない」と評している[25]。
また当時の一般的な男性向けエロ漫画はリアルタッチの三流劇画がほとんどで、『シベール』をはじめとするロリコン漫画の出現は「手塚治虫や石ノ森章太郎のような丸っこい記号的な絵柄でもセックスが描ける」という「かわいいエロ」[26]ないし「エロかわいい」という現代の日本的美意識の発見と革命をもたらしたとされる。実際、吾妻と沖によれば同誌を創刊した背景には当時の三流劇画ブームに対する強固な反発心が根底にあったという[27][28][29]。
蛭児神建は、まんが画廊で沖由佳雄にスカウトされた時のエピソードを次のように記している。
初対面の沖由佳雄氏に手渡された本を見て、私の全身の血液は一瞬で頭に昇った。それは二つ折りのコピー紙をホッチキスでとめた、ほんの数ページの品である。しかしその内容は、彼の可愛い絵の少女が靴下だけの全裸になり、ワレメがくっきりと描かれた、当時としては衝撃的なものであった。私は頭がクラクラした。アニメ的美少女をエロの対象とする、その偉大なる先駆けは沖由佳雄氏である。全く、世界観が引っ繰り返るような思いをした。〔……〕ともかく漫画画廊が存在しなければ、蛭児神建も『シベール』も無く、後のロリコン同人誌ブームも起こらなかったかもしれない。あんな小さな店に、あれだけの偉大な才能が集結したのは神秘というか、神の悪戯とさえ感じる。西洋の芸術史などを調べていると、複数の天才が同じ時代に誕生して寄り集い花開くという、神の意志としか思えない瞬間が幾度も起こるが、その小規模な形を私は目にしたのだ。 — 蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「吾妻ひでおとの出会い」角川書店 2005年11月 pp.46-52
『シベール』創刊号は1979年4月8日に開催されたコミックマーケット11[注釈 8]で頒布された[30]。何も印刷されていない黒色のラシャ紙の表紙のB5判26ページのコピー誌で、執筆者は吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建および蛭児神の紹介で加わった仁科蒼一の4名である[31]。隣り合うスペースでは蛭児神による『愛栗鼠』の臨時増刊号『ロリータ』[注釈 9]も頒布された[30]。
吾妻と沖はコミックマーケット11の実質的な主催者であった「迷宮'79」の米沢嘉博(のちにコミックマーケット準備会2代目代表)と事前に打ち合わせを行っており、吾妻は「無理言ってコミケに潜り込ませてもらいました」と後年述懐している[32]。また蛭児神によれば両誌は袋に入れて糊付けし、とじ目に赤くマル秘の印を押して売っていたとのことで「世間の冷たい視線の痛さが何故か快感で、マゾヒスティックな喜びに震えていた。売り手と買い手の共犯意識による友情に私の体は火照っていた」と当時の心境を振り返っている[3][注釈 10]。
実際、当時はメジャー少年誌・少女誌で活動しているプロの現役漫画家が、成人向け同人誌に作品を執筆するということはタブーに等しかった。吾妻ファンでヒルダコン[注釈 11][34]の少女漫画家・和田慎二を『シベール』に同人として勧誘する案もあったものの「それはやっぱしアカンじゃないかい」という吾妻の一声で取りやめになったという。これについて蛭児神は「やはり吾妻先生としては、メジャー作家を巻き込むのは不味いと思われたのだろう」と語っている[35]。
2号目からは孤ノ間和歩、計奈恵、豊島ゆーさくが参加する(沖がまんが画廊の「らくがき帳」を通じて孤ノ間に接触し[11]、計奈は孤ノ間の弟子をしていた)。計奈によれば「真っ黒い本で殆ど手に取ってもらえなかった」と証言しており、グループ客も「こんな本売っていいのか」と立ち読みで騒ぐだけで、そのまま買わずに通りすぎて行ったというが、中の一人が後でこっそり買いに戻ってくることもあったと回想している[36][37][38]。
こうしたエロ本を買う時にありがちな気恥ずかしい状況[38]が急変するのは吾妻がコミケに行かなくなった[39]3号目(1979年冬のC13)からで、この日は開場前から人だかりが出来ており、当時のコミケには開場前行列という概念が存在しなかったため、不審に思った会場スタッフが参列者に同誌の購入希望者かどうか尋ねると、ほとんどの人が満面の笑みで一斉に挙手したという[37][40]。
※上記人物のうち、吾妻、沖、蛭児神、仁科、計奈、孤ノ間、豊島、森野、早坂、川本は、吾妻の漫画にサブキャラクターとしてたびたび登場する。
1979年冬には業界最大手の自販機本専門出版社・アリス出版の看板雑誌『少女アリス』の川本耕次編集長(三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人)[注釈 15][63][64][65]から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり[66][67]、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月[68]まで連載する。
メジャー少年誌・少女誌で活動するプロの漫画家が、同人誌のみならず「最底辺のエロメディア」[69]と呼ばれた自販機本に成人向け漫画を発表することは当時としても前代未聞のことであった。このような経緯から吾妻ひでおは商業誌・同人誌ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。
ほどなく巷では吾妻の新作を求めて『少女アリス』(アリス出版)が売られている自動販売機を捜し歩くマニアが続出し[70][71][72][73]、同じく『シベール』も列整理が必要となる最大手の壁サークルに急成長する[74]。アニメ雑誌『月刊OUT』(みのり書房)1980年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」という記事ではコミックマーケット準備会代表の米沢嘉博が「コミケットなぞで見かけたら買っておくこと。汚染度90%である」と同誌を取り上げ、その名をアニメファンに広く知らしめるきっかけとなった[71][75]。
しかしブームの折りから次第に吾妻をはじめとする参加者の本職が忙しくなり[36]、それに加えて同誌に追随する複数のロリコンファンジンも現れ始めたことから「やるべきことはやった」という確信のもと[76]、コミックマーケット17(1981年4月5日)で頒布された7号目を最後に本誌は終刊宣言する。なお終刊号の行列は発売前から100人前後にまで達し[77]、この中にはデビュー前の「森山塔」こと山本直樹も並んでいたという逸話がある[78]。
コミケットのみならず一般にもロリコンブームを巻き起こした同誌の存在は終刊後すぐに伝説化した[77][79]。まず志水一夫(原丸太)が「終刊半年足らずにして伝説的存在に」と『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号のロリコン特集「ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」やアニメージュ増刊『アップル・パイ 美少女まんが大全集』(1982年3月)の寄稿記事などで同誌を紹介した[80][81][82]。続いて米沢嘉博(阿島俊)が『レモンピープル』創刊号(1982年2月号)から連載を開始した「同人誌エトセトラ[注釈 16]」第1回で「今や神話となった幻のシベール」と同誌を紹介する[4]。吾妻は「米沢さんが評論をいっぱい書いてくれたので私は漫画史に名前が残ります」と感謝の弁を述べていた[32]。
『シベール』神話に関して同人の計奈恵は、新宿Naked Loftのトークイベント「プレイバック’80年代〜あの頃の美少女漫画の話をしよう」(2016年10月30日)出席時、同席者から『ミャアちゃん官能写真集』(吾妻ひでおが1981年夏のC18で頒布した伝説的同人誌)の話が出た時、当時からすでに「伝説のシベール」と扱われるような状況だったと述べており、「美少女漫画の黎明期を語る」という趣旨のイベントだったにも関わらず、最古参の計奈は同席者との会話に全く付いて行けなかったと苦笑する[83]。さらに計奈は吾妻ひでおファン葬(2019年11月30日)参加時も「知ってる人がいなかった」と語っており、同人の孤ノ間和歩ともども「確かに吾妻先生と美少女同人誌の歴史に居たけど、私ら〔シベールメンバー〕ってミッシングリンクだよね」と述懐している[84]。また大塚英志も「結局、あの後『シベール』の人たちよりもう一つ下の世代が次々出てきて、そっちの連中の方がもっとエロとしては過激なものを描いてたんで、わりと『シベール』の人たちはそういう世代の狭間にはまっちゃったみたいなところがあった」「吾妻ひでおの許に集まった創世記のロリコン/美少女まんがの描き手たちは、その後にやってきた世代に呑み込まれる形でフェードアウトしていかざるを得なかったが、たいてい新しいジャンルやスタイルのおいしいところは二世代ぐらい後にやってきた一群が全てさらっていくものだ」と語っており、黎明期のロリコン漫画家たちがミッシングリンク化している状況を認めている[85][86]。
吾妻ひでおが定型化したロリコン漫画の形式は、その周辺にいた同人作家たちに継承され拡散していった[87]。吾妻は1979年4月から1981年8月までの約2年間の活動で同人誌や自販機本といったアンダーグラウンドなインディーズメディアを通して以降の漫画状況をメジャー・マイナーを問わず決定的に変え、それを1980年代以後のおたく文化に繋いだ。
蛭児神建は1980年から自身が主宰する「変質社」に移り、過激派ロリコン文芸誌『幼女嗜好』を発行。ロリコン界の教祖的存在としてコミケに君臨する[46][88]。それ以外のメンバーは「グループ601」「ぐるーぷティンカーベル」「STUDIO BAKI」に分かれ、本誌終刊後も活動を継続した[61]。
「グループ601」は『シベール』元編集長の沖由佳雄が主宰する同人サークルであり、1981年12月に創刊された後継同人誌『エピカル』には『シベール』出身メンバー(計奈恵、孤ノ間和歩、三鷹公一、豊島ゆーさく、仁科倉一)も多数参加していた。しかし、その後は離合集散を繰り返し、やがて見解の相違などから一部の初期メンバーが分派・独立した結果、シベール時代の痕跡は跡形も無くなった[85][89][90]。
一方「ぐるーぷティンカーベル」は、ファンタジー路線を基調にした創作系同人誌『アスケロン』や批評誌『アーケロン』を定期刊行し、沖由佳雄、豊島ゆーさく、計奈恵、森野うさぎ、川猫めぐみ、よしき志信、毛羽毛現、さえぐさじゅんらが原稿を寄稿した[61][91]。
森野うさぎ主宰の「STUDIO BAKI」は、後に壁サークルとなるクリエイティブ集団「スタジオ・アオーク」[56]に発展し、自主制作アニメ『AWAKE』[注釈 17]の製作を主軸にその資金稼ぎ[58][61]として同人誌以外に『漫画ブリッコ』誌上でメディアミックスも展開し、第2次ロリコン商業誌ブームの嚆矢となる[92]。
号数 | 発行日 | 判型 | 印刷形態 | 頁数 | 定価 | 備考 |
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創刊号 (Vol.1) | 1979年4月8日 | B5 | コピー | 26ページ | 300円 | 1979年6月15日に第2版刊行。最終項の編集後記、本文2か所に差異あり |
Vol.2 | 1979年7月27日 | B5 | コピー | 46ページ | 400円 | 1980年8月にVol.1の一部を合わせたオフセット第2版刊行。 |
Vol.3 | 1979年12月 | B5 | オフセット | 54ページ | 300円 | この号より完全オフセット化 |
Vol.4 | 1980年5月 | B5 | オフセット | 46ページ | 300円 | 劇画調に描かれた掲載作品がメンバー間で議論となる[93][94] |
Vol.5 | 1980年9月 | B5 | オフセット | 80ページ | 400円 | 掲載のアニパロ漫画が好評。この号からアニパロが増えたとのこと |
Vol.6 | 1980年12月 | B5 | オフセット | 82ページ | 400円 | 「メンバー間の意見の相違が作品中に」[95]表出 |
Vol.7 (終刊) | 1981年4月 | B5 | オフセット | 108ページ | 400円 | 「終刊それ自体をテーマとした作品」[95]多数 |
すべて無気力プロダクション刊
などという作品をだれか描いて下さい。あなたのアイドルをあなたの歯牙に!! ピピを! まゆを! 龍子を! ヒルダを! あなたの手で!!
作品名 | 作品を収録している単行本 | 名義 | 初出 | 発表年月日 | 発行所 |
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日ヘンの美子ちゃん 官能編 | ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド (2015年 復刊ドットコム)[104] | あほらしい | シベール Vol.0 | 1978年秋 | 無気力プロダクション |
赤ずきん・いん・わんだあらんど | れおなるど・だ・ひでお →れおなるど・だ・ちんぽ | シベール Vol.1 | 1979年4月8日 | ||
美少女製造の手引き | KAWADE夢ムック 文藝別冊 [総特集]吾妻ひでお(2011年) 陽射し -reissue-(2018年) | あじましでお | ロリータ Vol.1 | アリスマニア集団 キャロルハウス出版部 | |
マイ・タウン | 贋作ひでお八犬伝(1985年 秋田書店) さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) 陽射し -reissue-(2018年) | じゃ・じゃばあ・うおっく | シベール Vol.2 | 1979年7月27日 | 無気力プロダクション |
赤い風 | にせ海がめ | シベール Vol.3 | 1979年12月 | ||
夢の少女 | 贋作ひでお八犬伝(1985年) 夜の帳の中で(2006年) さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) 陽射し -reissue-(2018年) | ぐりほん | シベール Vol.4 | 1980年5月 | |
10月の空 | 十月の空(1984年) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) | どーどー | シベール Vol.5 | 1980年9月 | |
マイナースペース ササミストリート | - | シベール Vol.6 | 1980年12月 | ||
妄想のおと(ロリコン編) | 陽はまた昇る(1985年 双葉社) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) | シベール Vol.7 | 1981年4月 | ||
うわさ | - | ||||
(イラストのみ2P) | ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2 (2016年 復刊ドットコム)[103] | プチ・シベール | 1981年4月26日 |
一ノ瀬健太『クラリス・クライシス ─なぜ日本でロリコン文化が花開いたのか?─』(PDF)(修士論文)東京藝術大学、2015年、1-113頁 。
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