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瀛州 (北魏)
ウィキペディアから
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瀛州
瀛州
(えいしゅう)は、 中国にかつて存在した
州
。南北朝時代から北宋にかけて、現在の河北省滄州市西部に設置された(後述)。 487年(太和11年)、
北魏
により定州の河間郡と高陽郡および冀
州
の章武郡が分割され、
瀛州
が置かれた。その
州
治は趙都軍城に置かれた。 隋初には
瀛州
北魏
北魏
には113の
州
があり、
州
の下に郡があり、郡の下に県がある。 河北地域 司
州
、定州、冀
州
、并
州
、
瀛州
、殷
州
、滄州、肆
州
、幽州、晋
州
、懐
州
、建州、汾
州
、東雍
州
、安
州
、介
州
、南汾
州
、南営
州
、燕
州
、営
州
、平
州
、恒
州
、朔
州
中原地域 雲
州
、蔚
州
、顕
州
、廓
州
、武
州
、西夏
州
、寧
州
、霊
州
、兗州、青州、斉
州
河間郡
州
・成平・東平舒の11県を管轄した。 晋のとき、河間国は楽城・武垣・鄚・易城・中水・成平の6県を管轄した。
北魏
の初年に河間郡は定州に属した。487年(太和11年)、
瀛州
が定州から分割されて立てられると、河間郡は
瀛州
に転属した。
北魏
の河間郡は武垣・楽城・中水・鄚の4県を管轄した。
章武郡
州
に属し、東平舒・文安・章武・束
州
の4県を管轄した。永嘉の乱以降、章武国の地は華北の五胡の諸国の支配下に入った。 487年(
北魏
の太和11年)、
瀛州
が立てられると、章武郡は
瀛州
に転属した。
北魏
の章武郡は成平・平舒・束
州
・文安・西章武の5県を管轄した。
高陽郡 (中国)
れ、涿郡を分割して高陽国が立てられた。晋の高陽国は冀
州
に属し、博陸・高陽・北新城・蠡吾の4県を管轄した。
北魏
に入ると、高陽郡と改められた。400年(天興3年)、高陽郡は定州に転属した。487年(太和11年)、高陽郡は定州から
瀛州
に転属した。
北魏
の高陽郡は高陽・博野・蠡吾・易・扶輿・新城・楽郷・永寧・清苑の9県を管轄した。