澄豪 (鎌倉時代)
ウィキペディアから
ウィキペディアから
澄豪(ちょうごう、正元元年(1259年)- 正平5年/貞和6年1月27日(1350年3月6日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期にかけての天台宗の僧。法諱は澄豪、法号は法円。西山上人・伝法和尚と称された。
藤原顕成の子と伝えられ、19歳の時に延暦寺に入って承澄に台密穴太流を学ぶ。徳治2年(1307年)に大阿闍梨に任ぜられ、山城国宝菩提寺・近江国金剛輪寺などを拠点として著述に励み、また恵鎮らに台密穴太流を授けた。後に澄豪の流れは宝菩提寺の所在地より「西山流」と称された。
著書に『三五要決』などがある。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.