概要
外様大名→交代寄合旗本→譜代大名という系譜の家系である蒔田氏が藩主である。
浅尾藩は蒔田広定が関ヶ原の戦いで西軍に組し、江戸幕府の世になると浅野幸長の執り成しで赦され、慶長8年(1603年)1万石にて備中国浅尾の地に陣屋を置いた事に始まる。陣屋は土塀で囲まれ、御本殿、御台場が丘陵上にあり、その下に家臣の屋敷などがあるといった形であった。
倉敷・浅尾騒動
元治元年(1864年)の禁門の変が原因で、慶応2年(1866年)に長州藩第二奇兵隊を抜けた浪士達により、倉敷代官所と共々、陣屋が焼き討ちされてしまった。以降十分に再建されないまま明治維新を迎えた。
遺構
現在、陣屋の遺構として石垣、土塁が残り、稲荷神社、石碑が立っていて、崩れかけた土塀が延々と残り(総社市文化財)、復元した土塀があり、公園となっている。
関連項目
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