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日本の長距離走者(陸上競技)、コーチ ウィキペディアから
永田 宏一郎(ながた こういちろう、1978年12月19日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。鹿児島県出身。鹿児島県立錦江湾高等学校、鹿屋体育大学卒業。旭化成、鹿屋体育大学大学院、F・R・Aを経て小森コーポレーションののち鹿児島県立鶴翔高等学校教員,のち鹿児島商業高等学校へ。身長175cm、体重57kg。世界陸上選手権エドモントン大会男子10000m日本代表。
錦江湾高校時代はインターハイ決勝への出場経験はなかったが、鹿屋体育大学に入学以降頭角を現し、1997年・1998年には出雲駅伝で2年連続1区区間賞を獲得するなど全国大会で活躍した。1999年、スペイン・パルマ・デ・マヨルカで開催されたユニバーシアード男子5000mに出場し、自己ベスト更新となる13分42秒08を記録し6位入賞を果たした。第68回日本インカレ5000m優勝、第83回日本選手権では日本人1位となるなど大学生の枠を超えた活躍を見せた。
2000年も優れた成績を収めた。5月静岡国際5000mでは日本人学生歴代4位となる13分30秒12を記録。第69回日本学生陸上競技対校選手権大会5000mでは佐藤敦之・徳本一善ら関東学連所属の選手たちを抑え2年連続優勝を飾っている。10000mでも2位となり、佐藤以下他の日本人選手を寄せ付けなかった。
第12回出雲駅伝では6区区間賞を獲得、三代直樹の区間記録[1]を25秒更新した。続く第32回全日本大学駅伝では序盤から他大学の選手を置き去りにし1区区間賞を獲得、ステファン・マヤカの区間記録[2]を42秒更新した[3]。
12月には10000mで27分53秒19と自己記録を更新、世界陸上選手権エドモントン大会の参加標準記録Aを突破した[4]。
2001年1月の京都シティハーフマラソンでは優勝を飾り1時間01分09秒の日本人学生記録を樹立するものの、レース中に右アキレス腱を痛めている[5]。 2001年4月旭化成に入社し、陸上部に所属。1月の故障により東アジア競技大会など全レースへの出場を見合わせていたが、第85回日本陸上競技選手権大会に出場し5位(日本人3位)に入賞した。この結果を受け世界陸上選手権男子10000m日本代表に選出されたが、故障により選手権本戦への出場はかなわなかった。
2004年第88回日本選手権10000mでは大野龍二と僅差の2位となったが、アテネオリンピック代表入りはならなかった。またこの年の第53回九州一周駅伝では区間賞を4度獲得し、納戸賞(大会最優秀選手)を受賞した。
体育科の教師を志して鹿屋体育大学に入学した。大学では標高差800メートルの起伏を走って鍛え上げ、月間の走行距離は400kmであった。練習メニューも自らで考え、単独練習となることが多かった。[6][7]。実業団入り後は月間走行距離が800kmになるなど練習量が増え、両すね骨折など故障が続きオーバートレーニングによる不振に陥ったという[8][9]。2004年9月に旭化成を退社、2006年に母校・鹿屋体育大学大学院に進学。その後小森コーポレーションへと進んだ。
2012年中に小森コーポレーションを退部し、F・R・Aで指導者として活躍。 2013年教員採用試験合格、鶴翔高等学校教員。
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