民度

ある集団における平均的知的水準・教育水準・行動様式の成熟度合い ウィキペディアから

民度(みんど、中:素质)とは特定の地域・国に住む人々または、特定の施設・サービスの利用者(ユーザー)・参加者・ファン等のある集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー行動様式などの成熟度の程度を指す。民度は高いほど良いとされている[1][2][3][4][信頼性要検証][5][6][7]。特定集団のある平均レベル・マナーの度合い以外に明確な定義はなく、曖昧につかわれている言葉である[8][9][7][信頼性要検証]。中国に概念が輸出され、「(国民)素质(日:素質)」とし、中国政府含めた官民問わず使われている[3][10][11][12][13][14]。無料又は低価格帯サービスは民度が低い人やクレーマーが集まる傾向にあり、このようなネットサービスの場合はデジタルスラム化するとの意見が出ている[15]

概要

起源は不明ながら戦前から存在する言葉である。辞典への収載例をさかのぼると、1907年(明治40年)三省堂書店発行の『辞林』(金澤庄三郎編纂)では「人民の文野又は貧富の度合」[16]、1910年(明治43年)郁文舎発行の『増補訂正 漢和大辞林』(郁文舎編輯所編纂・芳賀剛太郎増補訂正著)では「人民の生活の程度、又、人民の進歩の程度にいふ」[注 1][18]と語意が解説されている。

これを裏付ける使用の一例として、1934年(昭和9年)8月9日付『京城日報[19]には「民度」という表現が複数回みられるが、いずれも本来の語意である「国民あるいは住民の生活の貧富や文明の進歩の程度」[1]に沿った文脈であり、暗に善悪を匂わせるような用法ではないことが確認できる。

他方、1949年(昭和24年)に尾崎書房から発行された『随筆てんやわんや[注 2]』(獅子文六著)では「飛驒の山奥の振り米傳説が、そつくりそのまゝウラカタに持ち來られ、町の人々の笑話にされる。要するに、あらゆる點から、民度が低いのである[20]」という表現がみられるなど、戦後混乱期には既に「民度」を批判の手段として用いていた例も確認されている。

関連項目

脚注

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