比嘉盛範
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
来歴
ブラジル連邦共和国サンパウロ州サントスで沖縄県出身の日系人家庭の10人兄弟の第7子として生まれる。
当初は日系人のサッカークラブでプレーをしていたが、セルジオ越後の勧めもあり1973年4月に日本サッカーリーグ(JSL)の藤和不動産に3人目の外国人選手として入部した。
来日当初はリーグ規定(外国籍の新規登録選手は半年間の出場禁止としていた)によって苦汁をなめたが[1]、同年10月の新日鐵戦において念願のリーグ戦デビューを果たし、その試合で1得点2アシストの活躍を魅せた。
1977年にカルバリオ、マリーニョとのブラジル人トリオが攻撃の中心となりリーグ戦18試合64得点という圧倒的な攻撃力でJSL初優勝に貢献。また、この年チームメイトの古前田充とともにアシスト王に輝いた。
1979年に本田技研へ移籍、翌年JSL2部を制し1部昇格に貢献。その後PJMフューチャーズに移籍し、1988年から比嘉盛範と改名した。
引退後の現在は浜松市にある「ビス フットサル スクール」でサッカーの指導をしている。
所属クラブ
ビラ・プルデンチ
クラブ・デ・プルマ
- 1973年 - 1978年
藤和不動産/フジタ工業
- 1979年 - 1982年
本田技研
- 1987年 - 1990年
PJMフューチャーズ
個人成績
日本サッカーリーグ成績
・JSL東西対抗戦 1回出場(1981年)
個人タイトル
- 1977年 日本サッカーリーグ1部:アシスト王
参考文献
- 加部究『サッカー移民-王国から来た伝道師たち』(双葉社、2003年) ISBN 9784575296020
出典
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