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武藤 互三(むとう ごぞう、1866年3月9日(慶応2年1月23日[1]) - 1937年(昭和12年)1月20日[2])は、明治から昭和時代戦前の政治家。実業家。銀行家。衆議院議員。岐阜県郡上郡八幡町長。
美濃国郡上郡八幡町(岐阜県郡上郡八幡町を経て現郡上市)出身[3]。関谷楠平の三男、関谷貫三の弟として生まれ先代の武藤喜一郞の養子となり、1903年(明治36年)3月、家督を相続する[1]。1880年(明治13年)鈴木重遠に漢学を学び[1]、1886年(明治19年)岐阜県師範学校、1890年(明治23年)東京専門学校法律科卒業[2]。生糸製造業を営んだ[2]。
八幡町長、蚕糸業諮問会、中央種繭審査会各委員となる[2]。また第百二十八銀行[注 1]頭取、八幡町仏教慈善会長、県製糸同業組合長、製糸講習所長、大日本蚕糸会、帝国蚕糸会社各評議員、濃飛農工銀行[注 2]取締役となるほか、大谷派本山講頭格に列せられ、同派本願寺会計評議員を歴任した[2]。
1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では岐阜県第5区から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。
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