武政英策
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武政 英策(たけまさ えいさく、1907年〈明治40年〉9月18日 - 1982年〈昭和57年〉12月1日)は愛媛県出身の作曲家[1]。代表作『南国土佐を後にして』『よさこい鳴子踊り』などがある[2]。
人物
出生時の姓名は和気政之であったが、武政家の跡を継ぎ、武政政之となった。「政」という字が続くので、東京に出るときに英策と名のりはじめた[2]。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、就職せずに門馬直衛と山田耕筰に師事。1937年にNHK京都放送局和洋管弦楽団の初代指揮者となる。1945年に大阪の空襲で自宅が焼失、妻の貴美恵(1950年没)とともに現在の南国市に疎開、終戦後は中央に戻らず亡くなるまで37年間高知市に居住した。
徳島の阿波踊りに対抗する形で、1954年に高知商工会議所青年団が企画したよさこい祭りに参画。民謡「よさこい節」をもとに、よさこい祭りで使用される「よさこい鳴子踊り」の作詞・作曲を行い、さらには鳴子を使った踊りを思いついた。「よさこい鳴子踊り」の楽曲の自由なアレンジを許したため、現在では様々な編曲がなされている。よさこい祭りでは功績を讃え、8月12日の後夜祭(本番受賞チームが出場する)で、本番のよさこい大賞の上位の賞とされる「武政英策賞」が設定されている。
ペギー葉山が歌ったことで広く知られるようになった、「南国土佐を後にして」の作詞・作曲も行っている。
作品
著書
- 『土佐ふるさとのうた:武政英策作品集』高知新聞社、1983年12月。
- 『歌ありてこそ』武政春子、2000年7月。
脚注
外部リンク
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