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中世・近世の武士社会における法体系 ウィキペディアから
武家法(ぶけほう)とは、中世・近世の日本において、武士社会及び武家政権における法体系のこと。中世においては公家法・荘園領主の制定した本所法とともに法体系を形成した。
平安時代中期に武士が誕生し、元は武士団の統制などを目的として、武士階級の主従関係や封建道徳、武家の道理を根幹とする武士の間で成立した慣習法として成立した。なお、平安後期には各地に荘園が置かれ、荘園領主による本所法が成立するが、武士も経済的基盤を荘園においたため武家法は本所法に起源をもつものが多い。また、武家政権と朝廷との関わりから公家法の影響も受けた。
武家法は一部が成文化され、式目・式条と呼ばれる成文法が将軍御教書の形で発布された。『吾妻鏡』に拠れば、貞永元年(1232年)には鎌倉幕府において初めての成文法形式の武家法である御成敗式目が定められ、以後室町幕府および諸藩の藩法に継承され、武家政権における日本全国の支配及び地方政権における領国内の封建体制と地域秩序の維持の基本となった。
鎌倉期には本所法・武家法・公家法は並立していたが、室町時代には武家法が優位の時代となった。
名前は制定者、西暦は制定年
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