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日本の政治家・実業家 ウィキペディアから
武井 覚太郎(たけい かくたろう、明治元年9月(1868年10-11月)[1] - 1944年(昭和19年)[2]4月6日[3])は、大正から昭和時代前期の政治家、貴族院多額納税者議員、実業家。前名は寅太郎[1]。
先代・覚太郎の長男として、長野県伊那郡宮木村(現・上伊那郡辰野町宮木)に生まれた。1905年(明治38年)に武井家の家督を相続し、前名を改める[1][2]。父の始めた器械製糸業を継ぎ、1914年(大正3年)には824釜を有する大製糸家となった[2]。その後、同業の片倉製糸(片倉工業の前身)と合併し、常務取締役に就任し経営に当たった。生糸の品種改良および販路拡大のために2度欧米に渡っている[2]。
1930年(昭和5年)には上伊那郡銀行の頭取に就任し、横浜取引所理事なども歴任した。実業家としては、ほかに日華蚕糸・片倉生命保険各取締役、信産館製糸監査役などを歴任した[1]。
1934年(昭和9年)長野県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され[2]、同年2月22日に就任し[4]、同成会に所属して1939年(昭和14年)9月28日まで1期在任した[3]。また、上伊那郡組合立伊北農蚕学校(現・長野県辰野高等学校)の創設や、上伊那図書館の開館の際に建設費を寄付するなど、郷里の発展に貢献した[5]。
伊那市創造館(旧上伊那図書館)敷地内には銅像「武井覚太郎翁像」が建立されている。
⚫︎娘婿・方介 ( 片倉財閥創始者 片倉兼太郎、貴族院多額納税者議員 今井五介 甥)
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