櫛石窓神社
兵庫県丹波篠山市福井にある神社 ウィキペディアから
兵庫県丹波篠山市福井にある神社 ウィキペディアから
祭神は次の3柱[2]。
祭神とする櫛石窓神・豊石窓神に関して、史書では櫛石窓神社自体に関するもの以外に次の記載が知られる。
これらの史料に対して、その内容と櫛石窓神社との関係は明らかでないが[4]、江戸時代の『神名帳考証』では内裏の各門の上に祀られた櫛石窓神・豊石窓神の本社は丹波国の当社である、と考察されている[5]。
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によれば、当時の「櫛石窓神」には丹波国から神封5戸が充てられている(文献上初見)。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では丹波国多紀郡に「櫛石窓神社二座 並名神大」と記載され、2座が名神大社に列している。また、平安時代中期-末期頃の作と見られる神像3躯(国の重要文化財)が現在まで伝世される。
中世には「大芋社」と見える[4]。また、応仁の乱ののち度々戦火に遭い、永禄10年(1567年)に再建された[4]。しかしながら天正年間(1573年-1592年)に明智光秀の兵火で全焼し、社領もほとんど没収されたという[4]。
近世の造営を伝える棟札には、寛文3年(1663年)の本殿造営時、安永4年(1775年)の拝殿造営時のものがある[5]。近世には「櫛岩窓大明神」と呼ばれ、「大宮寺」という神宮寺もあった[4]。
現在の本殿は昭和34年(1959年)の造営[5]。かつて社殿のそばには「福井」と呼ばれる霊泉が存在し、付近の地名の由来ともなっている。
また、社殿後方には「宮山」と呼ばれる高さ約30メートルの丘がある。宮山の頂上付近には「霊岩(みたまいわ)」という磐座が残り、古代祭祀の名残を現代に伝えている。
神道では元来偶像を祀る習慣はなかったが、仏教の影響で神像が製作されるようになった。神像の製作は文献上は8世紀からみられるが、現存遺品があるのは平安時代初期以降である[10]。当社の像は古い神像の特徴を有しており、平安時代中期から末期の造像と見られている[11]。なお、櫛石窓命坐像・豊石窓命坐像は1981年12月から1982年4月までの間(日付の特定不能)に盗難に遭っている[12]。
所在地
交通アクセス
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