櫛石窓神社

兵庫県丹波篠山市福井にある神社 ウィキペディアから

櫛石窓神社map

櫛石窓神社(くしいわまどじんじゃ)は、兵庫県丹波篠山市福井にある神社式内社名神大社)で、旧社格県社

概要 櫛石窓神社, 所在地 ...
櫛石窓神社
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拝殿
所在地 兵庫県丹波篠山市福井1170
位置 北緯35度6分43.9秒 東経135度19分45.8秒
主祭神 櫛石窓命
社格 式内社名神大2座)
県社
創建 不詳
例祭 4月29日[1]
地図
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櫛石窓
神社
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一の鳥居

祭神

祭神は次の3柱[2]

主祭神
配祀神

祭神について

祭神とする櫛石窓神・豊石窓神に関して、史書では櫛石窓神社自体に関するもの以外に次の記載が知られる。

  • 古事記天孫降臨
    ニニギの従者として「天石門別神」の名が見え、同神について「またの名を櫛石窓神・豊石窓神という」とあるほか「御門の神である」という。
  • 古語拾遺
    天照大神が岩戸から新殿に遷座したのち「豊磐間戸命と櫛磐間戸命の二神に殿の門を守衛させた」とあり、「両神は天太玉命の子である」という。
  • 延喜式神名帳
    宮中の神祇官西院において「御門巫祭神 八座」として、櫛石窓神・豊石窓神が4面の門に各1座ずつ祀られている[3]

これらの史料に対して、その内容と櫛石窓神社との関係は明らかでないが[4]江戸時代の『神名帳考証』では内裏の各門の上に祀られた櫛石窓神・豊石窓神の本社は丹波国の当社である、と考察されている[5]

歴史

新抄格勅符抄大同元年(806年)牒によれば、当時の「櫛石窓神」には丹波国から神封5戸が充てられている(文献上初見)。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では丹波国多紀郡に「櫛石窓神社二座 並名神大」と記載され、2座が名神大社に列している。また、平安時代中期-末期頃の作と見られる神像3躯(国の重要文化財)が現在まで伝世される。

中世には「大芋社」と見える[4]。また、応仁の乱ののち度々戦火に遭い、永禄10年(1567年)に再建された[4]。しかしながら天正年間(1573年-1592年)に明智光秀の兵火で全焼し、社領もほとんど没収されたという[4]

近世の造営を伝える棟札には、寛文3年(1663年)の本殿造営時、安永4年(1775年)の拝殿造営時のものがある[5]。近世には「櫛岩窓大明神」と呼ばれ、「大宮寺」という神宮寺もあった[4]

明治6年(1873年)、近代社格制度において村社に列し、明治37年(1904年)に県社に昇格した[6]

境内

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本殿

現在の本殿は昭和34年(1959年)の造営[5]。かつて社殿のそばには「福井」と呼ばれる霊泉が存在し、付近の地名の由来ともなっている。

また、社殿後方には「宮山」と呼ばれる高さ約30メートルの丘がある。宮山の頂上付近には「霊岩(みたまいわ)」という磐座が残り、古代祭祀の名残を現代に伝えている。

摂末社

  • 稲荷神社
  • 福井村地神合祀殿
  • 火雷大明神

文化財

重要文化財(国指定)

  • 木造櫛岩窓命坐像・木造豊岩窓命坐像(彫刻) - 指定名称では「櫛窓命」と表記。平安時代の作。明治44年4月17日指定[7][8]
  • 木造大宮比売命坐像(彫刻) - 平安時代の作。明治44年4月17日指定[9]

神道では元来偶像を祀る習慣はなかったが、仏教の影響で神像が製作されるようになった。神像の製作は文献上は8世紀からみられるが、現存遺品があるのは平安時代初期以降である[10]。当社の像は古い神像の特徴を有しており、平安時代中期から末期の造像と見られている[11]。なお、櫛石窓命坐像・豊石窓命坐像は1981年12月から1982年4月までの間(日付の特定不能)に盗難に遭っている[12]

現地情報

所在地

交通アクセス

  • バス:ウイング神姫(旧神姫グリーンバス)で「丹波大宮」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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