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平安時代初期の貴族。橘島田麻呂の次男。蔵、弁、頭、長者、弾正大弼、右中将、左中将、左中弁、従四位上、左大弁。子に橘伴雄(宮内大輔、雅楽頭、従五位上、子に綱高(越後守)) ウィキペディアから
若い頃より大学寮で学び、『史記』や『漢書』を非常によく読んだ[1]。
弘仁5年(814年)皇太子・大伴親王(のち淳和天皇)が南池を訪問して文人に詩賦を命じた際、春宮大進であった長谷麻呂は昇叙されて従五位下に叙爵した。のち、民部少輔・右少弁を経て、弘仁11年(820年)従五位上、弘仁13年(822年)正五位下、弘仁14年(823年)従四位下と嵯峨朝末に急速に昇進する。
淳和天皇の即位後まもない弘仁14年(823年)6月には蔵人頭に任ぜられて左中弁を兼ねるなど重用される。しかし、のち病に伏し[1]、翌天長元年(824年)2月9日卒去。享年46。最終官位は弾正大弼従四位下。
穏やかで優しい性格で、世人の心情に逆らうことはなく、物事を決定する際に法に違うことがなかった。酒を思う存分飲んで憂さを晴らすような所もあった[1]。
『日本後紀』による。
『尊卑分脈』による。
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