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日本の元将棋棋士 (1983-) ウィキペディアから
橋本 崇載(はしもと たかのり、1983年3月3日 - )[1]は、日本の元将棋棋士[注 1]。棋士時代は剱持松二九段門下、棋士番号は239だった。愛称は「ハッシー」。2021年4月2日付で現役を引退[3]、2022年11月1日付で日本将棋連盟を退会した[4][注 2]。棋士引退後はYouTuberとして活動した期間もあった。
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1983年3月3日石川県小松市に生まれる。出生後すぐに大阪府に転出しており、その後在住したことはないが、将棋連盟への登録上の出身地は石川県小松市としている。
1994年9月 奨励会試験では、2位で6級で入会[注 3]。試験対局の成績は7勝2敗だったが、その2敗はいずれも反則負けであった[7]。当時は福岡県在住で、関西奨励会に所属した。
第24回(1998年後期)より三段リーグ入り。参加2期目の第25回では、阿久津主税に次ぐ暫定2位の成績(12勝4敗)で最終日を迎え、奨励会入会が同期で同い年の阿久津と橋本が同時に昇段する可能性もあったが、2連敗を喫し6位に終わった[注 4]。5期目となる第28回2000年後期に、15勝3敗の1位で同星の佐々木慎とともに四段昇段を果たす[注 5]。
渡辺明とは同世代の棋士である。
(以下、戦績はいずれも、2021年4月1日現在のもの)
初参加の第60期順位戦(2001年度)は、5勝5敗の成績であった。同じく初参加の第15期竜王戦(2002年)では、昇級者決定戦を勝ち抜き6組から5組へ昇級。後述の通り当期以降5期連続で昇級を続けた。
2005年度、大阪府にある両親の実家に転居したため、4月に所属を関東から関西に移した[8]。C級2組在位5期目で迎えた第64期順位戦では、2006年3月14日に行われた最終局に勝利し、8勝2敗・3位の成績でC級1組への昇級を決めた[9][注 6]。
2006年9月22日、第19期竜王戦2組昇級者決定戦決勝に勝利して1組昇級を決め[10]、七段に昇段した。竜王戦での初参加からの5期連続昇級は佐藤康光、鈴木大介に次いで3人目だが、橋本は第15期の6組から第19期の2組までの各期各組においてランキング戦で敗れるも、昇級者決定戦を勝ち抜き「5期連続3位での昇級」と珍しい記録となった。第65期順位戦C級1組では、2007年3月13日に行われた最終局に勝利し、9勝1敗・1位でB級2組への連続昇級を決めた[11]。
2007年、夏に再び関東に転居し、所属も関東に戻った。参加6期目の第48期王位戦で予選を勝ち抜き挑戦者決定リーグへの出場権を獲得した。第66期順位戦B級2組では、将棋世界2007年7月号で担当した順位戦昇級予想記事を担当し、自らを本命に挙げるも4勝6敗と予想外の不振に終わる。橋本は、この件について、2008年7月号も担当した将棋世界の同記事(阿久津主税との対談形式)において、「4勝6敗はファンの方に顔を合わせられないくらい恥ずかしくて。いや私はね、相手が弱いとダメなんですよ。去年はあまりに相手が弱すぎて嫌気がさした将棋が何局もあったんです」「もう、相手の弱さに呆れたことが何回もあって。いや、そういう脆さがあるうちはダメでしょうね。ホントは強いんだけど」などと発言した。
2008年度の第49期王位戦でも予選から挑戦者決定リーグ入りし、タイトルホルダーの渡辺明竜王、A級在籍棋士の丸山忠久他を破り最上位者となり、挑戦者決定戦に出場したが羽生善治に敗れ初のタイトル挑戦には至らなかった[12]。第58期王将戦では二次予選2回戦に進出し、自己最高成績を更新した。第34期棋王戦では予選を勝ち抜き本戦に出場。そこでも当時王位のタイトルを保持していた深浦康市に勝利するなど快進撃を続け、準決勝に進出(敗者復活戦出場及び次期シードの権利を獲得)。準決勝で久保利明[注 7]に、敗者復活戦1回戦で阿部隆にそれぞれ敗れ、タイトル挑戦には至らなかった。
2009年度、第50期王位戦挑戦者決定リーグでは、タイトルホルダーの久保利明棋王、A級在籍棋士の佐藤康光、三浦弘行、井上慶太を破り最上位者となり、2年連続挑戦者決定戦に進出したが木村一基に敗れて初のタイトル挑戦には至らなかった[13]。シード権を獲得して臨んだ第35期棋王戦では前年に続き深浦に勝利し、2年連続で準決勝に進出。しかし準決勝で杉本昌隆に、敗者復活戦1回戦で山崎隆之にそれぞれ敗れタイトル挑戦に至らなかった。
2010年、第23期竜王戦でランキング戦(対松尾歩)及び5位決定戦(対高橋道雄)と連敗し、2組へ降級した。竜王戦では第20期(2007年)から4年連続で1組に在位していたが、いずれも本戦出場に至る成績を修められていなかった。第69期(B級2組在位4期目)において、9勝1敗・1位でB級1組への昇級を決めた[14]。B級2組では負け越しを2度経験していた。
2011年度、第83期棋聖戦では1回戦で広瀬章人に勝利しベスト8(2回戦で郷田真隆に敗れる。)。第24期竜王戦では2組ランキング戦で優勝し[15]1組への即復帰を遂げると同時に、本戦トーナメントへ初出場。1回戦で羽生善治名人に勝利するも、2回戦で久保利明二冠に敗れた[16]。第70期順位戦B級1組では、2012年2月3日に行われた第12回戦に勝利して8勝目(3敗)を挙げ、昇級を争っていた山崎隆之と木村一基が5敗目を喫したため、1戦を残してA級への連続昇級及び順位戦規定に基づく八段昇段を遂げた[17][18]。3月16日の最終戦の深浦康市戦にも勝ち、9勝3敗・1位の成績で、B級1組一期抜けを果たした。タイトル挑戦・棋戦優勝・将棋大賞受賞歴がいずれもない棋士が順位戦A級に昇級するのは、田丸昇以来史上2人目。
2012年度、第61期王座戦は順位戦A級在籍のため2次予選2回戦からシードされ、予選で戸辺誠及び堀口一史座に勝ち、初の本戦出場を果たした。本戦では1回戦で屋敷伸之に敗れた。初めてのA級在籍となった第71期順位戦では強豪を相手に苦戦し、2013年3月1日に行われた最終局は、自身が負けたら無条件で降級、勝っても深浦康市・谷川浩司・高橋道雄のうち2名以上負けないと残留できない厳しい状態で迎えた。結果、羽生善治に敗れて2勝7敗・10位となり、1期でB級1組へ降級した。
2013年度、第21期銀河戦で決勝トーナメントを勝ち抜いたが、決勝戦で稲葉陽に敗れて準優勝。第63期王将戦では58期以来2度目の二次予選2回戦進出となったがそこで敗退し、以降も挑戦者決定リーグ出場は果たせなかった。
2014年度、第64回NHK杯戦でベスト4進出するも、準決勝の行方尚史戦で二歩の反則手を指して敗退した(後述)。
2016年度、第29期竜王戦ランキング戦で深浦康市に敗退し、5位決定戦でも羽生善治に敗北、2011年より在籍していた1組からの降級が決定した。第66回NHK杯戦ではベスト4に進出するも、準決勝で佐藤和俊に敗れた。
2017年度、第76期順位戦B級1組では最終局に勝てばA級復帰だったが、郷田真隆に敗れて6勝4敗・3位となり昇級を逃した。
2018年度、第77期順位戦B級1組では、前期から一転して不振が続き、最終局に勝ったとしてもクラス残留は他者の結果次第と厳しい状況になった。その最終局では谷川浩司に敗れ、3勝9敗・12位でB級2組へ降級となった。第4期叡王戦では、八段予選戦で豊島将之や山崎隆之らを破り本戦に進出。本戦二回戦で及川拓馬に敗れた。
2019年、第32期竜王戦では2組ランキング戦で準優勝し、1組復帰と本戦トーナメント2回目の出場となるも、1回戦で鈴木大介に敗れた。
2020年10月1日より2021年3月31日まで一身上の都合により公式戦を休場することになった[19]。期間中に開催される公式戦の対局予定は組まれず、すでに対局予定が組まれていた棋聖戦二次予選の中田宏樹戦と、橋本の2勝3敗で進行していた第79期B級2組の残り5局は不戦敗扱いとなった。その結果、順位戦では降級点がついた。
2021年4月2日付で日本将棋連盟に引退届を提出し受理され[3]、同日にYouTubeチャンネル『橋本崇載チャンネル』とTwitterアカウントを開設した。当時、橋本の将来を案じた連盟常務理事の森下卓は、橋本が提出した引退届の受理を保留し、橋本に何度も翻意を促した[20]。
連盟のリリースでは引退理由を「一身上の都合」としていたが、自身のYouTubeチャンネル動画や雑誌インタビューなどでは、2019年7月に妻が当時1歳の息子を連れて別居を始めたことについて、これを子供の連れ去りだとする自説を主張し、さらに、親による子どもの連れ去りを違法とするための活動を考えていること、その活動が国を批判することとなり、国から優遇を受けて成り立っている将棋連盟への迷惑となることを懸念しての引退であった、と述べている[21][22][23]。
同年4月11日には、新橋駅前で親権に関する演説を行った[24]。
YouTubeチャンネルでは、主に上述の自らの家庭問題や子ども連れ去り問題及び共同親権推進活動についての自らの主張を述べる動画を配信していた。
2021年9月23日を最後にYouTubeチャンネルへの動画アップロードを停止、11月16日を最後にTwitterへの書き込みが途絶え、その後長期間音信不通となる。
2022年7月16日新しいTwitterアカウントを立ち上げ、社会復帰を目指しリハビリを行っていることなどをツイート、その後、復活宣言を行った。8月4日より上記YouTubeチャンネル名を『TAKANORIチャンネル』に変更、新規の動画をアップロードし、福岡市に転居していることなどの近況を報告、さらに長らく音信不通であったことを謝罪するとともに、最悪の時期を脱したため活動を再開すると明らかにした[25]。 YouTubeのメインチャンネルではグルメリポートやお笑い、競馬予想などのエンターテインメント系コンテンツの動画及び週一で『すなっくタカ子』と銘打ったライブ番組を、サブチャンネルでは将棋倶楽部24での自らの実戦譜を利用した将棋講座コンテンツの動画を、配信していた。
2022年11月1日、日本将棋連盟に退会届を提出し、同日中に受理された[26]。
2022年11月16日、YouTubeのメイン・サブ両チャンネルともにアカウントを削除し、11月30日にはTwitterアカウントをも削除し、再度活動を停止した。
2023年1月17日、元妻を中傷する内容をTwitterに投稿したとして、名誉毀損の疑いで逮捕された[27][28][29][30]。橋本は元妻などの本名と住所を明記した上で「僕を地獄の底に落とした殺人鬼」[31]などと呼び、「無差別殺人起こして自殺したるわ」[28]「ガソリン撒いて火つけたってもええんやぞ」[32]などの投稿を繰り返していた[33]。
逮捕はこれが二度目で、前年の12月にも元妻への名誉棄損容疑で逮捕されていた[30][27]。
その後名誉毀損罪で起訴され、同年6月23日に大津地方裁判所から懲役1年6月、執行猶予4年の判決を言い渡された[34]。
同年7月20日、元妻とその父を鍬のようなもので殴って殺害しようとしたとして、殺人未遂などの疑いで逮捕された[35]。8月3日、大津地検は橋本の鑑定留置を始めたと明らかにした[36]。鑑定留置の結果、担当医は橋本の刑事責任能力に問題はないと判断した[37]。12月8日、大津地検は橋本を住居侵入と殺人未遂の罪で起訴した[38]。
2004年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントに出場した際、金髪のパンチパーマの髪型に、紫色のワイシャツを着用しており、その奇抜な出で立ちが話題となった。そのトーナメントを勝ち進み迎えた羽生善治戦(2005年1月放送)におけるテレビ視聴率は、通常のそれと比べて3倍になったといわれている[41]。
奇抜な出で立ちは、ホスト[42]やヤンキーに喩えられることもあるが、対局では和服を着用することが多い[43]。
2007年のNHK杯では度々テレビカメラに視線を送ったことで話題となり[44]、「爆笑 大日本アカン警察」(フジテレビ系)で“カメラを意識しすぎる棋士”として取り上げられた[45][46]。
こうしたNHK杯での活動をきっかけとして、『週刊ポスト』など一般週刊誌にインタビュー記事が掲載されるようになった[43]。
NHK杯では2010年度から対局者の事前インタビューが放送されているが、橋本はそこで度々個性的な発言をしている。
2012年度のNHK杯では、2回戦(10月28日放送)の対局前インタビューで対戦相手の羽生善治の印象を聞かれ、「羽生さん? 強いよね。序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ。だけどオイラ負けないよ」「えー駒たっ……駒たちが躍動するオイラの将棋を皆さんに見せたいね」と発言をした。これは、同年のNHK杯で佐藤紳哉が豊島将之との対局前のインタビューで発言した内容のパロディであり、噛む場所や身体の横揺れも含めて再現している。この受け答えはネット上で話題となったが、一方で、これを「羽生に対する侮辱」と捉えたファンの非難を浴びることにもなり、その結果橋本はブログとSHOGI - BARのホームページ(後述)を閉鎖した(※2013年5月現在HPはリニューアルされている。)[47]。
2013年度のNHK杯では、2回戦(10月13日放送)の中田宏樹との対局前のインタビューで、佐藤の発言に加えて連続テレビ小説「あまちゃん」のパロディも行い、メモのようなものを見つつ、「中田さん?強いじぇ」「駒たちが躍動するはしちゃんの将棋をみなさんに見せたいじぇ……じぇ……じぇ……」などと発言した[48]。
2015年3月8日放送の、第64回NHK杯テレビ将棋トーナメントの準決勝第2局(対局者は行方尚史八段)にて、トップ棋士の対局としては異例の二歩の反則負けをした[49][50][注 8]。このニュースによって将棋ファン以外にも「二歩の人」として話題になり、橋本は「猛反省しています。めちゃめちゃ恥ずかしい」「最近の座右の銘は『一歩千金 二歩厳禁』なんです」と語っている[44]。2015年8月16日放送の、第65回NHK杯テレビ将棋トーナメントの2回戦第2局(対局者は澤田真吾六段)のインタビューでも、「二歩」をあらためて関係者と将棋ファンに謝罪した。
開始 年度 |
順位戦 出典[64] |
竜王戦 出典[65] | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
|||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
2001 | 60 | C241 | 5-5 | 15 | 6組 | -- | 8-1 | |||||||||||
2002 | 61 | C224 | 8-2 | 16 | 5組 | -- | 4-1 | |||||||||||
2003 | 62 | C202 | 5-5 | 17 | 4組 | -- | 6-1 | |||||||||||
2004 | 63 | C220 | 7-3 | 18 | 3組 | -- | 5-1 | |||||||||||
2005 | 64 | C207 | 8-2 | 19 | 2組 | -- | 4-1 | |||||||||||
2006 | 65 | C127 | 9-1 | 20 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2007 | 66 | B219 | 4-6 | 21 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2008 | 67 | B216 | 6-4 | 22 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2009 | 68 | B210 | 4-6 | 23 | 2組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2010 | 69 | B215 | 9-1 | 24 | 2組 | 1-1 | 4-0 | |||||||||||
2011 | 70 | B112 | 9-3 | 25 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2012 | 71 | A 09 | 2-7 | 26 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2013 | 72 | B102 | 6-6 | 27 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2014 | 73 | B107 | 8-4 | 28 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2015 | 74 | B105 | 7-5 | 29 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2016 | 75 | B104 | 7-5 | 30 | 2組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2017 | 76 | B103 | 6-4 | 31 | 2組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2018 | 77 | B104 | 3-9 | 32 | 2組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2019 | 78 | B201 | 6-4 | 33 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2020 | 79 | B205x | 2-8 | 34 | 2組 | -- | 休場 | |||||||||||
第79期順位戦は途中休場(5局不戦敗) → 2021年4月2日付で引退 | 第34期竜王戦は休場 → 2021年4月2日付で引退 | |||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) | 通算成績 (勝-負) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 37 | 23 | 14 | 0.6216 | [66] | 23 | 14 |
2002 | 35 | 25 | 10 | 0.7142 | [67] | 48 | 24 |
2003 | 45 | 29 | 16 | 0.6444 | [68] | 77 | 40 |
2004 | 42 | 27 | 15 | 0.6428 | [69] | 104 | 55 |
2005 | 31 | 20 | 11 | 0.6451 | [70] | 124 | 66 |
2006 | 42 | 31 | 11 | 0.7380 | [71] | 155 | 77 |
2007 | 45 | 29 | 16 | 0.6444 | [72] | 184 | 93 |
2008 | 46 | 28 | 18 | 0.6086 | [73] | 212 | 111 |
2009 | 41 | 19 | 22 | 0.4634 | [74] | 231 | 133 |
2010 | 34 | 22 | 12 | 0.6470 | [75] | 253 | 145 |
2001-10 (小計) |
398 | 253 | 145 | ||||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) | 通算成績 (勝-負) | |
2011 | 39 | 29 | 10 | 0.7435 | [76] | 282 | 155 |
2012 | 29 | 10 | 19 | 0.3448 | [77] | 292 | 174 |
2013 | 33 | 18 | 15 | 0.5454 | [78] | 310 | 189 |
2014 | 35 | 18 | 17 | 0.5142 | [79] | 328 | 206 |
2015 | 32 | 15 | 17 | 0.4687 | [80] | 343 | 223 |
2016 | 29 | 18 | 11 | 0.6206 | [81] | 361 | 234 |
2017 | 30 | 13 | 17 | 0.4333 | [82] | 374 | 251 |
2018 | 39 | 19 | 20 | 0.4871 | [83] | 393 | 271 |
2019 | 35 | 17 | 18 | 0.4857 | [84] | 410 | 289 |
2020 | 18 | 4 | 14 | 0.2222 | [85] | 414 | 303 |
2011-20 (小計) |
319 | 161 | 158 | ||||
通算 | 717 | 414 | 303 | 0.5774 | [62] | ||
2021年4月2日 引退 |
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