東京市本郷区(現文京区)湯島天神生まれ[1]。1936年青山学院中等部卒業[1]、1940年東京外国語学校ドイツ語科卒業[1]、1942年上智大学文学部独文科卒業[1]。同年駐日ドイツ大使館勤務[1]、1944年 - 1945年ジャワ、スラバヤに勤務[1]。1946年上智大学カトリック辞典編纂室勤務[1]、1950年同図書館副館長[1]、1953年同外国語学部ドイツ語学科講師[1]、1962年同助教授[1]、1966年同教授[1]、1968年 - 1969年同学部長[1]。1979年定年退職[1]、名誉教授。
上智大学ワンダーフォーゲル部長でもあり[3]、登山の本を数多く翻訳した[3]。
- 『幻のヴィーナス』(アイヒェンドルフ、中央出版社) 1952
- 『Uボート977 独逸潜水艦長の手記』(H・シェッファー、日本出版協同) 1954、のち改題『U-ボート977』(朝日ソノラマ、航空戦史シリーズ) 1984、のち学研M文庫
- 『ナンガ・パルバット』(カール・M・ヘルリヒコッファー編、朋文堂) 1954
- 『八千米の上と下』(ヘルマン・ブール、朋文堂、エーデルワイス叢書) 1955
- 『オリンピック金メダルへの道』(トニー・ザイラー、朋文堂) 1956
- 『カンチェンジュンガ登頂』(デイレンフルト、朋文堂、エーデルワイス叢書) 1956
- 『第三の極地』(G・O・デイレンフルト、諏訪多栄蔵共訳、朋文堂、エーデルワイス叢書) 1956
- 『チョー・オユー登頂』(ヘルベルト・ティッチー、朋文堂、エーデルワイス叢書) 1957
- 『雲表に聳ゆる峯々』(アルバート・エグラー、朋文堂、エーデルワイス叢書) 1958
- 『大岩壁』(ハインリッヒ・クリーア、三笠書房) 1958
- 『ウェーデルン オーストリアのスキー』(クレメンス・フッター、朋文堂) 1959
- 『雪に憑かれた男 ザイラー自伝』(トニー・ザイラー、朋文堂) 1959
- 『白い蜘蛛 アイガーの北壁』(ハインリヒ・ハラー、白水社) 1960
- 『ブロード・ピーク八〇四七メートル』(マルクス・シュムック、朋文堂、世界山岳全集7) 1960
- 『登山靴とスキー』(ヘンリー・ヘーク、朋文堂) 1960
- 『ダウラギリ登頂』(マックス・アイゼリン、ベースボール・マガジン社) 1963
- 『冬のアイガー北壁初登攀』(トニー・ヒーベラー、ベースボール・マガジン社) 1964
- 『アジアの砂漠を越えて』(スウェン・ヘディン、白水社、ヘディン中央アジア探検紀行全集1-2) 1964
- 『マッターホルンの暗い壁』(ヒーベラー、あかね書房、世界山岳名著全集8) 1966
- 『無償の征服者』(リオネル・テレイ、大森久雄共訳、二見書房) 1966
- 『アイガー』(ヨルク・レーネ, ペーター・ハーク共著、二見書房) 1969
- 『ナンガ・パルバート登攀史』(パウル・バウアー、あかね書房、ヒマラヤ名著全集8) 1969
- 『わが触れし岩膚 若きアルピニストの手記』(アンドレア・オッジョーニ、白水社) 1969
- 『大いなる山の日々』(ワルテル・ボナッティ、白水社) 1974
- 『現代登山技術』(ヘルマン・フーバー、山と溪谷社) 1977
- 『マウンテン・ワールド 第4巻 1949』(スイス山岳研究財団編、小学館) 1989
ラインホルト・メスナー
- 『第7級 極限の登攀 技術=トレーニング=体験』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1974
- 『大岩壁 その歴史・ルート・体験』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1978
- 『挑戦 二人で8000メートル峰へ』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1978
- 『エヴェレスト 極点への遠征』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1979
- 『冒険への出発 五大陸の山々で』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1979
- 『ナンガ・パルバート単独行』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1981、のち文庫
- 『チョモランマ単独行』(ラインホルト・メスナー、山と溪谷社) 1985
- 『生きた、還った 8000m峰14座完登』(ラインホルト・メスナー、東京新聞出版局) 1987