Loading AI tools
日本の観世流能楽師 (1869-1946) ウィキペディアから
初世梅若万三郎(しょせい うめわか まんざぶろう、1869年1月3日(明治元年11月21日) - 1946年(昭和21年)6月29日)は、観世流能楽師。
東京生まれ。明治の三名人といわれた初世梅若実の長男。父に師事して道統を継いだ。梅若吉之丞家を継承。弟に梅若六郎、子に梅若万三郎 (2世)、梅若猶義。
1921年(大正10年)いわゆる観梅問題のもつれから、六郎、観世銕之丞らとともに梅若流として独立。宗家となるが、1933年(昭和8年)1月観世流に復帰。1937年(昭和12年)宝生新と帝国芸術院創立とともに会員。1944年(昭和19年)朝日文化賞受賞。1946年(昭和21年)文化勲章受章。
その芸風は「目利きにも目利かずにも訴える」[1]「華麗で輪郭の大きい強靱な演技」[2]と評される。野上豊一郎は世阿弥の言葉を引き、「寿福増長の人」と最大限の賛辞を送った[3]。「明治の三名人」(梅若実、櫻間伴馬、宝生九郎)亡き後の第一人者で、宝生新とともに「明治、大正、昭和にかけての名人」[4]と目される。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.