栗原克志

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

栗原 克志(くりはら かつし、1977年7月29日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手で現在は指導者。

概要 栗原 克志, 名前 ...
栗原 克志
名前
カタカナ クリハラ カツシ
ラテン文字 KURIHARA Katsushi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1977-07-29) 1977年7月29日(47歳)
出身地 千葉県[1]
身長 175cm[2]
体重 70kg[2]
選手情報
ポジション DF
ユース
1993-1995 ジェフユナイテッド市原
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1999 ジェフユナイテッド市原 38 (0)
通算 38 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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選手時代

ジェフユナイテッド市原のユースチームを経て1996年にトップチームに昇格[3]。同期入団に式田高義廣山望がいる。同年度第2節の京都パープルサンガ戦でJリーグデビューし、[2]以後2000年1月に現役を引退する[要出典]までの4シーズンで38試合に出場した。

在籍中、1998年度Jリーグナビスコカップ決勝戦でベンチ入りを経験した[4]他、1998年11月開催のJ1参入決定戦第1戦(対戦相手: アビスパ福岡)に先発出場した経験を持つ[5][6]

指導者時代

引退後は引き続きジェフ市原に残り、1年間U-12チームの監督を務めたが、翌2001年にFC東京普及部に移籍して2年間コーチとして勤務した。2003年からはイギリスに移り、翌2004年まで当時イングランドフットボールリーグ所属のプリマス・アーガイルFCのU-19チームでアシスタントコーチを務めた。在籍中にFAインターナショナルコーチングライセンス (UEFA B) を取得している。

2005年から2007年までの3年間はシンガポールSリーグ所属のアルビレックス新潟シンガポールコーチを務めた。在職中の2006年に、『サッカークリニック』8月号に、シンガポールにおける選手育成について執筆している[7]。2008年1月より日本へ渡り、アルビレックス新潟アシスタントコーチに就任[1][注釈 1]2012年J1最終節では、前節で退席処分となった監督の柳下正明の代行として指揮を執り、4-1で勝利し、チームをJ1残留へと導いた[9]。2015年シーズンを最後にコーチを退任し、2016年より育成普及部コーチに就任した[10]

また、日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチに就任[11]。新潟県ユースダイレクターも兼任し、北信越の育成に尽力。

Jリーグ選抜のU-14日本代表の監督を務め、国際大会ゴシアカップにて世界3位の成績をおさめた[要出典]

2018年よりアルビレックス新潟のトップチームコーチに復帰[12]、2019年よりヘッドコーチに就任した[13]

2019年シーズン終了後の12月より2020年東京五輪に出場するU-22日本代表のコーチに就任[14][15]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996市原-J50100060
1997181201010140
19981002010130
1999J11102000130
通算日本J1 3806020460
総通算 3806020460
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その他の公式戦

指導歴

資格

  • 2000年 日本サッカー協会公認C級指導者ライセンス
  • 2004年 FAインターナショナルライセンス(UEFA Bライセンス)
  • 2011年 日本サッカー協会公認B級指導者ライセンス[16]
  • 2015年 日本サッカー協会公認A級指導者ライセンス

脚注

関連項目

外部リンク

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