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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
柳川 雅樹(やながわ まさき、1987年5月1日 - )は兵庫県三田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。
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名前 | ||||||
愛称 | ヤナ | |||||
カタカナ | ヤナガワ マサキ | |||||
ラテン文字 | YANAGAWA Masaki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1987年5月1日(37歳) | |||||
出身地 | 兵庫県三田市 | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
2003-2005 | ヴィッセル神戸ユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2011 | ヴィッセル神戸 | 42 | (1) | |||
2010 | → ヴァンフォーレ甲府 (loan) | 6 | (0) | |||
2011 | → ザスパ草津 (loan) | 10 | (0) | |||
2012 | 栃木SC | 4 | (0) | |||
2013-2014 | ガイナーレ鳥取 | 33 | (0) | |||
2015 | グローバルFC | 16 | (2) | |||
2016-2017 | JPVマリキナFC | 43 | (2) | |||
通算 | 154 | (5) | ||||
代表歴 | ||||||
2005-2007 | 日本 U-20 | 1 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2019-2022 | 甲南大学 | |||||
2024- | ジェイリースFC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
三田市内の弥生FCでサッカーをはじめ、ヴィッセル神戸のジュニアユース及びユースに所属した。
ユース1、2年時はFWをしていたりとレギュラーではなかったが、3年時に木山隆之がユースの監督に就任するとCBとしてレギュラーに定着する。3年時の夏休み期間中、ユースの選手数名がトライアルも兼ねてトップチームの練習に参加していたが、そのメンバーには入っていなかった。その後のJサテライトリーグの試合を見た、トップチーム監督のパベル・ジェハークから評価され、逆転でのトップチーム昇格を果たす。
Jユースサハラカップ2005では紀氏隆秀らと共に準優勝という結果を残す。この大会での活躍が認められ、青木孝太、長沢駿、佐野克彦らとU-19日本代表に初招集される。
2006年1月に行われたU-19カタール国際ユースにU-19日本代表として参加後、ヴィッセル神戸に新設されたU-23で活動予定であったが、スチュワート・バクスター監督から見てみたいという要望がありトップチームのグアムキャンプに参加する。
バクスター監督の下、チーム史上初めて高卒新人開幕スタメンを果たし、2006年5月A契約締結条件をクリアし、チーム史上最速でA契約を締結する。
U-19日本代表としてAFCユース選手権2006に出場していたが、J1昇格争いをしていた神戸からの要望によりU-20ワールドカップ出場権獲得(ベスト4進出)が決まると、代表チームを離れ、神戸に戻ることになった。
翌2007年7月にはU-20日本代表として2007 FIFA U-20ワールドカップに出場した。ユース代表合宿中のルームメイトは同郷出身の香川真司で、よくマリオカートやトランプをしていて、勝つまで終わりにしない香川は負けず嫌いで、アジア予選に恋愛小説・恋空を持ってきていたことが一番驚いたと話していた。
2009年7月7日、神戸市在住の女性と入籍したことを自身のブログで明らかにした。
2010年は、ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍。
2011年、神戸に復帰したが、2011年7月にザスパ草津へ期限付き移籍。同年11月30日、神戸との契約が満了となった。
2012年より栃木SCに完全移籍した。
2013年、ガイナーレ鳥取へ完全移籍[1]。2014年シーズン終了後、契約満了により鳥取を退団[2]。
2015年、フィリピン・ユナイテッド・フットボールリーグのグローバルFCへ完全移籍。同リーグでは初めてJリーグクラブから直接の移籍選手となる[3]。ヴィッセル神戸在籍時から親交のあった鈴木規郎と6年ぶりに、同じクラブに所属した。AFCカップ2015に出場。
2016年、同リーグの日系クラブ、JPVマリキナFCへ完全移籍。キャプテン兼コーチ、広報担当として幅広く仕事をこなし、1部リーグ初挑戦であった同クラブのリーグ戦4位に貢献する。この年のリーグ、Best Defenderに選出される。
怪我により2018年2月に現役を引退し、サッカー選手のマネジメント会社を設立した[4]。
2019年、当時関西学生リーグ2部に所属していた甲南大学サッカー部の監督に就任。自らの経験と、心理学をベースにしたモチベーションコントロール術、フィリピン時代に養ったチームマネジメントを駆使してチームを改革し、2019年シーズンに1部昇格を果たし、翌年は総理大臣杯の代替大会である全国大会「#atarimaeni CUP」では関西勢唯一のベスト8入りに導いた[5]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | 神戸 | 32 | J2 | 28 | 1 | - | 1 | 0 | 29 | 1 | |
2007 | 22 | J1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |
2008 | 32 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | ||
2009 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
2010 | 甲府 | 3 | J2 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | |
2011 | 神戸 | 32 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
草津 | 27 | J2 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | ||
2012 | 栃木SC | 23 | 4 | 0 | - | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
2013 | 鳥取 | 2 | 12 | 0 | - | 0 | 0 | 12 | 0 | ||
2014 | J3 | 21 | 0 | - | 2 | 0 | 23 | 0 | |||
フィリピン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | グローバル | 32 | UFL1部 | 16 | 2 | 4 | 0 | 5 | 1 | 25 | 3 |
2016 | マリキナ | 18 | 1 | 7 | 3 | - | - | 25 | 4 | ||
2017 | 3 | PFL1部 | 25 | 1 | - | - | - | - | 25 | 1 | |
通算 | 日本 | J1 | 14 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | |
日本 | J2 | 60 | 1 | - | 1 | 0 | 61 | 1 | |||
日本 | J3 | 21 | 0 | - | 2 | 0 | 23 | 0 | |||
フィリピン | UFL/PFL | 59 | 4 | 11 | 3 | 5 | 1 | 75 | 8 | ||
総通算 | 154 | 5 | 13 | 4 | 8 | 0 | 175 | 9 |
その他の公式戦
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