柳河 春三(やながわ しゅんさん、天保3年2月25日(1832年3月27日)- 明治3年2月20日(1870年3月21日)は、幕末の洋学者。後に良三。姓は栗本、名は春蔭。初名は西村辰助。号は臥孟、楊江。オランダ語、英語、フランス語に通じた。
- 和歌が得意であった。
- 晩年は肺病を患っていたが平然と過ごし、誰も重病だと気づかなかった。見舞いに来た宇都宮三郎と鰻を食した後に、「あぁ、美味かった。」と言い、喀血して亡くなった[2]。
- 翻訳
- 揚江柳河暾昕訳述 『写真鏡図説』 慶応3年初編 / 明治元年第二編
- 吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第二十四巻 科学篇』 日本評論社、1930年2月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第二十七巻 科学篇』 日本評論社、1967年9月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第二十六巻 科学篇』 日本評論社、1993年1月、ISBN 4535042667
- 名古屋市教育委員会著編 『名古屋叢書 第13巻 科学編』 愛知県郷土資料刊行会、1963年9月
- 青木国夫ほか編集委員 『江戸科学古典叢書 38』 恒和出版、1983年1月
- 柳河春三訳 『蚕種説 附刻蚕種商法』 明治2年
- 吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第九巻 経済篇』 日本評論社、1929年8月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第十二巻 経済篇』 日本評論新社、1957年1月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第十巻 経済篇』 日本評論社、1992年7月、ISBN 4535042500
- 柳河春蔭和解 『格物入門和解』 明治2年初編(上下2冊)
- 新聞・雑誌
- 『西洋雑誌』 慶応3年-明治2年
- 吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第十八巻 雑誌篇』 日本評論社、1928年12月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第五巻 雑誌篇』 日本評論新社、1955年12月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第十九巻 雑誌篇』 日本評論社、1992年10月、ISBN 4535042594
- 柳河春三編 『柳河春三資料 西洋雑誌(慶應三-明治二年)』 湖北社〈近代日本学芸資料叢書〉、1985年4月
- 『中外新聞』 慶応4年、明治2年-明治3年 / 『中外新聞外篇』 慶応4年
- 吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第十七巻 新聞篇』 日本評論社、1933年6月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第四巻 新聞篇』 日本評論新社、1955年3月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第十八巻 新聞篇』 日本評論社、1992年10月、ISBN 4535042586
- 明治文化研究会編 『幕末明治 新聞全集 第三巻』 大誠堂、1934年12月 / 世界文庫、1961年11月
- 北根豊監修 『日本初期新聞全集』13-16、22-27、ぺりかん社、1988年8月-1989年2月、1990年2月-1990年12月
- 明治文化研究会 『新聞薈叢』 岩波書店、1934年2月、ISBN 4000029525
- 会訳社編 『新聞薈叢』 名著刊行会、1968年7月
服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)29頁