東南条郡(とうなんじょうぐん)は、1900年まで岡山県(美作国)にあった郡。
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、津山市の一部(吉井川・加茂川・宮川より内側かつ野村、高野本郷、高野山西、勝部、籾保、紫保井、大田、東一宮、山方以南)にあたる。
中世に苫東郡(第1次)が東南条郡・東北条郡に分割されて発足。寛文元年(1661年)から元禄11年(1698年)までは苫東郡(第2次)を称した。
近世以降の沿革
- 明治初年時点では全域が美作津山藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(1町22村)
- 津山(一部)[1]、里方下組[2]、里方上組[3]、山方東組[4]、山方西組[5]、沼村、太田村、勝部村、志戸部村、紫保井村、籾山村、高野山西村[6]、高野山東村[7]、野村、高野本郷村[8]、本郷北村[9]、本郷西村[10]、押入村下分、押入村上分、河崎村、野介代村、林田村、太田村[11]
- 明治4年
- 明治5年(1872年)(1町13村)
- 里方下組・里方上組・山方東組・山方西組が合併して東一宮村となる。
- 紫保井村・籾山村が合併して籾保村となる。
- 押入村下分・押入村上分が合併して押入村となる。
- 高野山東村が高野山西村に、本郷北村・本郷西村が高野本郷村に、太田村が野介代村にそれぞれ合併。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により岡山県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)9月29日 - 郡区町村編制法の岡山県での施行により、行政区画としての東南条郡が発足。「東南条西北条郡役所」が西北条郡津山町山下に設置され、同郡とともに管轄。
- 明治19年(1886年) - 東一宮村の一部(山方東組・山方西組)が分立して東一宮山方村となる。(1町14村)
- 明治22年(1889年)6月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。全域が現・津山市。(1町4村)
- 明治27年(1894年) - 「東南条西北条郡役所」が「西西条郡外三郡役所」となり、西北条郡に加えて西西条郡・東北条郡とともに管轄。
- 明治33年(1900年)4月1日
- 郡制の施行により、「西西条郡外三郡役所」の管轄区域をもって苫田郡が発足。同日東南条郡廃止。
- 津山東町が苫田郡津山町に編入。
- 歴代郡長
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代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
1 | | 明治11年(1878年)9月29日 | | |
| | | 明治27年(1894年)3月31日 | 廃官 |
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- 西西条郡外三郡長
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代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
1 | | 明治27年(1894年)4月1日 | | |
| | | 明治33年(1900年)3月31日 | 西北条郡・西西条郡・東北条郡との合併により東南条郡廃止 |
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津山城下各町の総称。西北条郡・東南条郡にまたがる。無高のため記載なし。本項では便宜的に1町に数える。 この時点では上之町、橋本町、林田町、勝間田町、中之町、西新町、東新町が存在。