Remove ads
ウィキペディアから
来談者中心療法(らいだんしゃちゅうしんりょうほう、クライエント中心療法、Person-Centered Therapy)またはパーソンセンタード・アプローチ/人間性中心的アプローチ(Person-Centered Approach:PCA)は、アメリカの心理学者であるカール・ロジャーズにより提唱された人間性心理学のカウンセリングのアプローチ。 その名称は、ロジャーズによって、非指示的療法(Non-Directive Counseling)から来談者中心療法、そしてパーソンセンタード・アプローチ/人間性中心的アプローチ(Person Centered Approach)へと、時代を追って改名されている。
この来談者中心療法を提唱したカール・ロジャーズは、医師以外でカウンセリング法の体系を築きあげた最初の人物とされている[1]。また、心理面接を行う分野で、はじめて成長の経験を重視したアプローチであることを提唱者自ら述べている[2]。
そして、ロジャーズは神経症や精神病などの概念を実在するものとして使うことを避け、「これらの概念は不適当であり、誤りを起こしやすい概念であると思うからである」と強く批判している[3]。代わりに、防衛的行動や解体行動というカテゴリーを使用した方が実りが多いとした。
ロジャーズは1940年12月に、ミネソタ大学で「心理療法におけるいくつかの新しい発想」と題する発表をし、自らこの日を来談者中心療法の誕生の日としている[4]。
この発表の中で、アプローチについて以下のように述べられている。
「この新しいセラピィの目的は、特定の問題を解決することになるのではなく、個人の成長を援助することにあります。その結果、その人は、今直面している問題やその後の人生で直面していく問題に、より統合された仕方で対処していくことができるようになるのです。このセラピィは、成長や健康や適応に向かう衝動をもっと信頼します。第二に、この新しいセラピィは、情緒的な要素、状況の持つ知的な側面よりも感情的な側面を強調します。第三に、この新しいセラピィは、その人の過去よりも現在の状況を強調します。そして最後に、この新しいセラピィは、その治療関係そのものを重要な成長体験として強調します」[5]
上述の講演でなされた提唱は、1942年にロジャーズが出版した「カウンセリングと心理療法」に、アプローチの具体的な特徴として詳しく記載されている[6]。以下に内容を端的に引用する。
上記『1』は、カウンセリング場面では、個人に対してカウンセラーがなにかしようとしたり、クライアントに対してなにかをさせようと仕向けることを避け、カウンセリングの関係性によって自然な成長や発達へ向かう力を解き放ち、障害となっているものを取り除かれることを指している[7]。
上記『2』は、不適応のほとんどは何かを知らないということなのではなく、現在の適応をとおして獲得している情緒的な満足によって知識が閉塞され、効果的に働かなくなっているためであるという前提で、知的なアプローチをとおして情緒の再構成を試みるよりも、可能な限り直接に感情や情緒の領域に働きかけることを意味している[7]。
上記『3』は、個人にとって重要な意味をもつ情緒的なパターンは、個人の過去の歴史のなかに見出されるのとまったく同じく、現在の適応状態のなかにも、そしてカウンセリングの時間中にもはっきりとあらわれる、としているため、来談者中心療法では「今、ここ」に重きを置くことを表している[7]。
最後の『4』は、それまでの心理療法が、面接が終結したあとに個人は成長し、変化し、よりよい決定をするようになると期待されていたのに対し、来談者中心療法では、カウンセリングの関わりそのものが成長の経験であることを強調している[2]。このことについてロジャーズは「個人はここで、自分自身を理解し、重要な自律的選択を行い、より成熟したやり方で他者とかかわることなどを学ぶのである。ある意味では、このことは新しいアプローチのもっとも重要な側面であるといえるかもしれない。[2]」と述べている。
自身の体験にもとづく価値づけから作られた概念と、他者との関わりから他者の価値づけを取り入れて自身のものとした概念との食い違いにより[8]、それらの概念の集合である自己構造に矛盾による崩壊の危機が訪れてしまう。そのため、自身の価値を否認し、意識に上らせないようにするなどの防衛を行う[9]。これは、意識にのぼるような体験を避けることにもつながる[10]。
ここまでを来談者中心療法の人間に対する捉え方である「自己理論/パーソンリティ理論」とし、実際のアプローチでは防衛的反応の減少を図るためにも、カウンセラーは受容的他者として関わり、クライアントの表現するどのような感情表現も無条件の肯定的配慮を伴った関わりを一貫して行っていく。これにより、クライアントは、受容され尊重されているという事実をカウンセラーとの関係から理解し、クライアントも自身を受容しやすくなっていくことで、自身の価値にもとづいて内省しやすくなるよう援助する。この内省から、クライアントが取り入れられた概念を、自身の価値にもとづいて作り直していく。これを分化と呼び、自己構造の矛盾が解消され、新しい自己に発達する。矛盾が解消されたことで、どのようなことも防衛したり回避したりする必要がなく、自由でとらわれのない状態となり、自分をありのまま表現することがしやすくなっていく[11]。
来談者中心療法のカウンセリングのプロセスにおいて、カウンセラーは何を行い、どのような展開をしていくのかについて、ロジャーズは『セラピーの過程における特徴的なステップ』というタイトルで紹介している[12]。
来談者中心療法の「治療者の三条件」とされる無条件の積極的関心(無条件の肯定的配慮)、共感的理解(共感/感情移入)、自己一致(純粋性)は、あまりにも有名なため、かえって表面的にしか理解されていない[13]。
ロジャーズは「純粋性」が最も重要な態度だと考え、『治療者がクライアントとともに居て、自らに起きてくる感情を、たとえそれがクライアントに対する否定的な感情であっても、それを認め(自らを欺かず)、そしてそれがクライアントの成長のために必要であると判断される場合に限って、クライアントに表明する[14]』こと。
クライアントを一人の人間として尊重し、彼/彼女らのありよう、彼/彼女らが表明するどのような感情や態度をも受け入れようとする、ということである。当然、クライアントの防衛や拒否も尊重し、受け入れていこうと、治療者は自らのありようを模索しなければならない[15]。
ロジャーズは、共感についての定義を1957年・1959年・1980年と文章で改めている。
「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件(通称:必要十分条件)」の中で、共感について定義されている[16]。
『第5の条件は、クライエントの気づきについて、そして自己自身の経験について、 正確なそして共感的理解を体験しているということである。クライエントの私的世界をそれが自分自身の世界であるかのように感じとり、しかも「あたかも......のごとく」という性質("as if" quality)をけっして失わないーーこれが共感なのであって、これこそセラピーの本質的なものであると思われる。
クライエントの怒り、恐れ、あるいは混乱を、あたかも自分自身のものであるかのように感じ、しかもそのなかに自分自身の怒り、恐れ、混乱を捲き込ませていないということが、私たちが述べようとしている条件なのである。
クライエントの世界がこのようにセラピストにはっきりと映り、セラピストがクライエントの世界のなかを自由に歩きまわるとき、セラピストは、クライエントにはっきりしているものを自分が理解していることを伝えることができるばかりではなく、クライエントがほとんど気づいていない自分の経験の意味を言葉にして述べることもできるのである。[17]』
『感情移入とか、感情移入的であるという状態は、他人の内部的照合枠を正確に知覚することであり、それに付着している情動的要素や意味をも知覚することである。その際に、自分はあたかもその人であるかのようになるのだが、しかも決して“あたかも……のような”という条件を失わない状態である。したがって、感情移入とは、他人の苦しみや喜びをその人が感じているように感じ、その原因についても、その人が知覚しているように感じとることである。しかも、その時、あたかも自分が苦しんだり喜んだりしているかのようであるという認識を決して失うことがない状態である。もし、この“あたかも・・のように”という性質がなくなるならば、それは同一化の状態である。[18]』
『今ではそれを「共感という状態」と定義しません。それは過程であって状態ではないと思うからです。この特性をとらえることが出来ると思います。
他者に対して共感的であるあり方はいくつかの側面を有します。それは、他者が私的に知覚する世界に入り込みそこで居心地よく感じることを意味します。他者の内部を流れゆく瞬間ごとに変化する感じをつかむこと、その個人が体験しつつあるものが恐れ、怒り、やさしさ、困惑等何であろうとつかむ事を意味します。つまり個人がほとんど認識していない意味を感じとり、それでいて無意識の感情を暴露することはあまりにも脅威的なので行わないのです。それは、ある個人が恐怖感を抱いている事柄を新鮮な恐れのない目で見つめ感じとり、それを伝えていくことを含みます。あなたが感じとったままをその個人と共によく検討し、相手から受けとる反応によって歩んでいくことを意味します。あなたは相手の体験過程というこの役立つ指標に焦点を当て、その意味を十分に体験し、その経験の中で前進とするよう援助するのです。
他者とそのように生きることは、しばらくの間あなたは自己の視点や価値観を脇において偏見を捨てて他者の世界にはいりこむ事を意味します。これは、たとえ他者の奇妙で見慣れない世界にはいりこんでも混乱したりせず、望むなら自分の世界に気持ちよくもどることのできる安定した個人のみが行えることです。[19]』
ロジャーズが提案した唯一の技法らしいものとして広まったものに「感情の反射(reflection of feelings)」または「リフレクション/伝え返し」と呼ばれるクライアントに対する応答の方法がある[20]。
感情の反射は、精神分析学者であるオットー・ランクの影響を受けたソーシャル・ワーカーから学んだものであると、ロジャーズ自身が語り、『一番有効なのはクライエントの言葉を通して認められる感情や情緒に耳を傾けることだと学びました。一番よい応答はその感情をクライエントに反射してやることだと教えてくれたのは彼女だと思います。』としている[21]。
ただし、ロジャーズが晩年にあかした内実として『しかし、セラピストの応答に焦点を置く傾向は実に嫌な結果を招きました。敵意を受けたことはそれまでにもありましたが、この結果はもっとひどいものでした。そのアプローチ全体が数年のうちにひとつの技法として知られるようになったのです。「非指示的療法とは、クライエントの感情を反射していく技法である」と述べられました。さらにひどい真似事は、「非指示的療法では、クライエントが述べた最後の言葉を繰り返せばよい」というものがありました。私たちのアプローチがこうして完全に歪曲されたことに私はショックを受けて、その後数年間は共感的傾聴に関して何も述べませんでした。』と打ち明けている[22]。
また、ロジャーズのもとでカウンセリングを学び、フォーカシング指向心理療法を提唱した心理療法家ユージン・ジェンドリンは、「感情の反射/リフレクション」について、以下のように述べている。
『多くの治療者は、ロジャーズのリフレクションを誤解しており、本来はクライエントのコトバをいったん自分の中に取り入れたり、コトバに込められている感じを自分も感じたりすべきなのに、そうしたことには関心を払わずに、ただ同じ言葉を繰り返すことに堕している。このような現実を知ったロジャーズは、技法的な主張を一切引っ込めて、その真反対の〈態度こそすべて〉をモットーとするように変わってしまった。しかし私(ジェンドリン)が考えるに、共感にとって伝え返し的傾聴はロジャーズが思っていたよりもはるかに重要であり、むしろ共感の中核に位置づけられるべき営みである[23]』
ロジャーズは来談者中心療法のカウンセラー養成に対する批判として『記録されたクライエント発言を基に、学習者は「正しい」気持ちのリフレクションを作り上げることや――もっとひどいのは「正しい」応答を複数選択肢から選ぶように要求される。このようなトレーニングは効果的なセラピー関係とはなんの関係もない。このようなわけで、私は、この用語の使用についてはますますアレルギーをもつようになったのである。[24]』と明言している。
そして誤解にもとづく批判が高まったため、ロジャーズは以下2点の主張した。
臨床心理学が専門の岡昌行は『クライアント中心療法と統合失調症―中核条件のありか』のなかで、来談者中心療法の「受容・共感・真実(一致)」がセラピストに必要なあり方であるとした点を挙げて『このようにとらえたクライアント中心療法は、一般に容易ではない考えられている統合失調症の心理療法に、はっきりと有効なアプローチであるというのが、現在の私の見解である。』と述べ、たとえば、共感は統合失調症のクライアントに対して『侵襲しないアプローチ』として取り上げている[27]。
神経科学の観点から、来談者中心療法を捉えた臨床心理学を専門領域とする岡村達也は、来談者中心療法の自己概念や経験、一致・共感的理解・無条件の肯定的関心などを、神経生物レベルで解説し『神経科学はロジャーズ理論を支持する、あるいは、並行関係を示す。』とした[28]。
来談者中心療法にある必要十分条件は、クライアントとカウンセラーの関係から形成される安心感から自己探求を進める点で、6条件すべてが愛着理論(アタッチメント理論)と密接に関係していることを挙げている[29]。
人間性心理学はコーチングのルーツとされ、特に来談者中心療法と同じ理論をもつコーチングを「パーソンセンタード・コーチング/人間性中心コーチング」または「人間中心主義的コーチング」と呼ぶ[30]。心理学分野では来談者中心療法の「傾聴」「反射」などロジャーズの概念がみてとれるとの指摘があり、実際に、初期のコーチ養成機関がロジャーズの概念を多用している[31]。
『イギリス障害学の理論と経験』[32]によると、障害者になることは心理学的に衝撃的に違いないと仮定することから生まれた「喪失モデル」[33]に基礎を置くカウンセリングの対応は、ディスエンパワーメント(disempower)的であると批判されている[34]。なぜなら、社会が障害を生み出し、障害を固定するのに果たしている役割を認めず、障害は損傷に起因する個人的な問題であるという観念を強化しているから、との主張がなされている。しかしながら、イリノイ大学英文学・障害と人間発達・医学教育学部の特別教授レナード・J・デイビスによると、来談者中心療法などの人間中心主義的カウンセリングは、人がどのように障害に反応するのかを想定していないため、最も押しつけがましくない方法とされている[35]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.