村越直吉
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永禄5年(1562年)、村越俊吉の子として誕生。同7年に父を亡くして叔父の村越俊信に養育される。徳川家康に仕えて、駿河国葛谷に300石を、また関東転封後は近江国坂田と武蔵国入間・多摩を併せて1000石を与えられた。
豊臣政権下では、家康の取次として諸大名との折衝に当たり、特に慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは使者役として功績を挙げた(後述)。
江戸幕府開幕後は本多正純らと共に駿府老中として重用された。慶長18年(1613年)2月には、家督を継いだ池田利隆の政務を監督するため、江戸老中安藤重信と共に副使として姫路に出向した。
翌19年(1614年)1月に行われた家康の鷹狩に従ったが、中原で体調を崩して江戸に戻るも14日に死去、享年53。家康は東金からの帰路、16日に千葉で訃報に接し哀憐の意を示した。
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