Loading AI tools
ウィキペディアから
村山 久良女(むらやま くらじょ)は、明治時代の俳人。倉女、久良とも。「北越の生んだ千代女」とも[1]、また採花女(さいかじょ)とともに「明治奮派の二才女」と称された[2]。没後に『久良女発句集』が編まれている。
慶応2年(1866年)、越後国刈羽郡岡野町村(現・新潟県柏崎市)の素封家・村山家に生まれる。同家は代々文芸に通じ、久良女の祖父・9代藤右衛門(号:哲斎、俳号:章嶂、亀石)、父・吉次(号:抱月)もまた俳諧をよくした。なお、『平家詩史』を著した11代亀一郎(号:亀齢)は久良女の弟に当たる[3]。
養志軒桑古が『久良女発句集』に寄せた跋によれば、久良女は幼少期から茶と俳諧をたしなみ、その天賦の才は「其器、一を聞て万を知るの才有り」と称されたという[4]。明治14年(1881年)、名古屋の羽洲園に入門する。後に上京し、小築庵春湖に師事した。明治17年(1884年)に帰郷し、翌年分家の某と縁組する。家政の合間に句作に励んだが、明治21年(1888年)1月3日に病没した。享年23才。
『久良女発句集』には、勝海舟が追悼句を寄せている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.