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朝鮮の軍人 ウィキペディアから
李 煕斗(イ・ヒドゥ、1869年7月16日(同治8年6月8日) - 1925年(大正14年)6月21日)は、大韓帝国軍及び大日本帝国陸軍の軍人。本貫は全義李氏[1]。
開国504年(1895年)に日本へ留学し、陸軍士官学校(第9期)と陸軍戸山学校で修学した。光武2年(1898年)に日本政府から勲六等瑞宝章を授与され帰国した後、韓国の陸軍武官学校で教官を務めた。以降も、日本政府からは光武5年(1901年)に勲四等瑞宝章、翌光武6年(1902年)に勲四等旭日章を授与され、日本陸軍と親密な関係を築くようになった。
光武11年(1907年)に一進会に加入し、忠州支部長を務めながら反日義兵抗争に対する弾圧や日韓併合条約締結等を積極的に推進した。日露戦争の際に漢城に入城した日本軍を助けた功績を評価されて、隆熙2年(1908年)に勲二等瑞宝章を授与され、同年には陸軍武官学校校長にも任命された。
1920年(大正9年)4月26日、勅令第118号が発せられた事により、朝鮮軍人たる陸軍参将から一般の陸軍少将に転じ、同年に勲二等旭日重光章を授与された。
2005年に民族問題研究所で親日人名辞書に収録する為に整理した親日人名辞書収録予定者1次名簿と、翌2006年に発表された親日反民族行為 106人名簿に選定された。
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