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李承薫(イ・スンフン、ハングル: 이승훈、1756年 - 1801年)は、朝鮮最初の天主教徒。
1784年、北京に赴いた李承薫が洗礼を受け、帰国したして平壌でキリスト教礼拝所を設立したことが朝鮮におけるキリスト教誕生の嚆矢となる[1]。
李承薫は、北京で、教区長グヴェーアと出会い洗礼を受けることを決意したが、宣教師ヴァンタヴォンは以下のように記録している[2]。
わたくしどもは、神が栄光を投げかけていたであろう一人の男の改宗の事実を慰めの言葉として報告する。そのものの国は、まだかつて宣教師の訪れない朝鮮というところで、中国の東側にある半島である。この国は、毎年宗主国である中国に使節を派遣する。…昨年の暮に使節が入京したが、一行は当堂も訪れたので、布教書を分与した。一行の二大官の子息で二七才といったが、非常に学識があり、快活な青年で、ほんとうに心から宗教に深い関心をもっていた。わたくしどもは、彼が満足するまで種々の疑問について教授してやった。またわたくしどもは、国王が彼の行為を非とし国法に触れた場合の決心を確かめたところ、彼は決然として、真理であると確信する宗教のためには、いかなる苦痛も、また、死をも耐え忍ぶと答えた。…いよいよ帰国に際して、教父の許可をえてグラモン司祭が名付け親となって、ペテロの聖名を授け、洗礼をすませた。 — 山口正之『朝鮮西教史』 (1967)
この記録から、李承薫が天主教に関する相応の知識をもち、北京に赴いたことが分かるという[3]。
1801年、死去。
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